2015年10月29日

四つの時代…

 28日午後、日本歌人クラブ東京ブロック大会が行われ(中野サンプラザ)、席上、三人の歌人が優良歌集表彰を受けた。その一人が両国高校時代の友人である女性歌人小林敬枝さんだったので、私も何人かの同期生とともに出席しお祝いした。
 表彰式の後、「歌の交差するところ――近藤芳美・土屋文明」と題する講演(大島史洋)があった。これは異なる歌人が同じ時代の中で、どう交差したかという視点から、具体的な作品を照応対比させつつ分析するという方法に特色があり、面白かった。
 土屋文明は、明治23年(1890)生まれで、平成2年(1990)100歳で没。その戦時中の歌が、幾つか紹介された(掲載誌は『アララギ』である)。
《上君の歌は来ぬかと待ち居るに徐州の戦にはかに進む s13 6月号
 たたかひはいづれの方に進むらむ渡辺直己君運づよくあれ 同
 移りはげしき時代の中に生れ育ち焦るるごとく古に寄る 『少安集』s14
 幾年ぶりか歌を作りていで立ちき敵前上陸にはやく戦死す 同 s16
 天地のただならぬ中に君を送るわかき命をふりおこしゆけ 同 s17》
 また、文明に師事した近藤芳美は、大正2年(1913)生まれ、平成18年(2006)93歳で没。戦中は中国戦線に召集された。その同時期の歌も同じく紹介された(掲載誌はこれも『アララギ』である)。
《国論の統制されて行くさまが水際立てりと語り合ふのみ s12 9月号
 戯言の如くに吾等言ひ合ふとも来る時代をはやうたがはず 同 11月号
 かそかなる事とし言はむ国こぞる消費統制に就職のあて失ひ行く吾等 同 12月号
 軍歌集をかこみて歌ひ居るそばを大学の転落かと呟きて過ぎにし一人 s13 4月号
 吾は吾一人の行きつきし解釈にこの戦ひの中に死ぬべし 『早春歌』s16》

 加えて、二人の昭和35年の歌が幾つか対比して紹介された。その中から各一首ずつ引いておく。
 近藤芳美の歌――
《犠牲死の一人の少女を伝え伝え腕くみ涙ぐみ夜半に湧く歌》(『喚声』)
 土屋文明の歌――
《暗殺反乱戦争デモ四つの時代をあそび来しみじかうた》(『青南集』)

 近藤の歌が安保闘争における樺美智子の死をうたったものであることは言うまでもない。また文明の歌の「暗殺反乱戦争デモ」の「四つの時代」というのは、昭和の戦前(暗殺・反乱・戦争)と戦後(デモ)とを象徴しているものである。
 たまたま猪瀬直樹・田原総一朗『戦争・天皇・国家』と同時に、保阪正康『昭和史入門』(文春新書)を拾い読みしていたら、こんな箇所が目についた。
《昭和という時代は、人類史が体験したことすべてが詰まっている、ということをもうすこし別な角度で見てみることにしたい。
 人類史が体験した事象を歴史の年譜の背後からさぐってみよう。
 戦争があり、それに伴う勝利と敗戦もあった。勝利という意味は、日本が中国や東南アジアの国々に一時的には軍事的な支配権を確立したということだ。この勝利のときは占領地行政を行っているし、日本が敗戦することによって、占領支配を受けている。戦争に伴う侵略、虐殺、捕虜虐待なども日本は体験している。テロ、クーデター、革命騒動、そして謀略、拷問、宗教弾圧、さらに国内にあっては市民的権利の抑圧体制を布いたことなど、それこそ人類史を見わたせば起こりえていることはすべて起こっている。》

 これは一見、昭和史の本質をついて、歴史的な観点のように見える。猪瀬直樹が《「戦後レジーム」ではなく「黒船レジーム」で考えよ》というのと、内容は別でも、一つの歴史の見方を提供しているように見える。
 猪瀬の説は、古くは岸田秀が提唱していたのと同源であるが、賛否は別に一つの歴史観(歴史の見方)としてそれなりに首肯できるものである。
 しかし、保阪のこの説はどうであろうか。
 昭和史というのは、実は昭和天皇という個人の即位と死とを入り口と出口にしているに過ぎない。単に一世一元制を前提にした便宜的な時代区分に過ぎないものを、歴史の視点として過度に強調することは誤りであって、このことはいわゆる「大正デモクラシー」論についてのゴードンや中村政則の説を紹介したのと同じ問題を孕んでいるのである。
 昭和初年代のワシントン体制下の国際協調や、昭和64年前後の東西冷戦下での社会主義陣営の崩壊が、あたかも昭和天皇の即位や死とほぼ同時期であるからといってそれは単なる偶然の一致である。昭和天皇が即位したから国際協調が進んだわけでもないし、昭和天皇が死んだから社会主義陣営が崩壊したわけでもない。無関係の事象を関係づけようとするのはノンフィクション・ライター出身の著者らしい着眼ではある。だが、昭和天皇伝や、あくまで昭和天皇を中心とし、それに即した昭和史叙述をするのならばともかく、「昭和史」を天皇の即位と死とによって意義付けるということほどおよそ非(似非)歴史的な分析というものもないのである。
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2015年10月28日

ゆきゆきて、神軍…

 27日の朝日新聞・夕刊「文芸・批評」欄から。
「戦後70年・時代のしるし」では、ドキュメンタリー作家・原一男が映画「ゆきゆきて、神軍」と、元帰還兵の奥崎謙三について語っている。
 映画は1987年に公開された。《彼は「神軍平等兵」を名乗り、昭和天皇の戦争責任を過激に追及していました。常識の通じない言動には、多くの観客が違和感や反発を覚えたと思います。しかし80年代は風変りな人や物を無理やり面白がる傾向があった。そんな時流に乗り、映画はヒットしました。》
 奥崎は1920年生まれ。太平洋戦争のニューギニア戦線から帰還して、かつての上官や戦友らを訪ね歩き、封印されていた戦場の地獄で起った事実を強引に追及した。彼の攻撃は戦争遂行の責任者としての昭和天皇にも及んだ。

 私にとって、奥崎の話はいわば伝説的である。その狂乱的な過激さに私は動かされる。共感するものがあった。何回もの傷害致死罪や殺人未遂罪での判決を受け、服役もした。前回、私は司馬遼太郎にふれて、戦場体験の有無が逆に天皇・戦争・国家への均衡のとれた観念に結びつくこともあるということを言ったが、奥崎のこの過激さはそれとは全く無縁のもので、はっきり言うと、それは彼の経歴からくるものであろう。
 長くなるが、以下、「wikipedia」から引用させてもらう。

《小学校を卒業後は木綿問屋の丁稚奉公に出た。1940年、徴兵検査に甲種合格。1941年3月に岡山連隊に入営(陸軍二等兵)し、後に九江の工兵隊へ転属。1943年1月、独立工兵第36連隊に配属され、4月に当時激戦地だったイギリス領東ニューギニアに派遣される。部隊は敗走を重ねながら飢えとマラリアに苦しみ、千数百名のうち生き残ったのはわずか30数名だった。奥崎は敗走の前からたびたび上官に暴行を働いて食料を奪っていたが、そのことが知れると上官の恥になるため露見しなかったという。また、奥崎は、この敗走の過程で右手と右足に敵の銃弾を受けた結果、右手の小指を失っている。最終階級は上等兵。1944年7月、「米兵よ、自分を撃て」の意で"GI, Come gun!"と叫び、投降。豪州軍の捕虜となる。1946年3月に復員。引揚船内で復員者の食料を横領しようとした船長に執拗な暴行を加え、腹部をハサミで刺した。しかし、被害者であるはずの船長が横領事件の発覚を恐れ、奥崎に「事件を内聞で済ませてもらいたい」と申し出たため、このときも刑罰を受けることはなかった。
1947年3月、三木市の共和製作所に就職。同年5月に製作所の寮母と結婚。1951年、神戸市兵庫区にサン電池工業所を開業し、バッテリー商を営む。1956年、店舗の賃貸借をめぐる金銭トラブルから不動産業者を刺殺し、傷害致死罪で懲役10年の刑に服する。
1969年、皇居の一般参賀で昭和天皇にパチンコ玉を発射し、暴行罪で懲役1年6か月の刑に服する。1974年、残留日本兵救出の目的でグアムを訪問。1976年、『宇宙人の聖書!?』を自費出版。その宣伝のため、銀座、渋谷、新宿のデパート屋上から、ポルノ写真に天皇一家の顔写真をコラージュしたビラ約4,000枚をまく(皇室ポルノビラ事件)。》

 なんとも凄まじい経歴と言うしかない。学徒出陣し、正七位陸軍少尉で戦車連隊小隊長であった司馬と、徴兵検査に合格した後、数々の地獄の戦場を嘗め尽した奥崎とは、その戦争体験の実質においていわば天地雲泥の差があった。だから私は、この奥崎の過激さをある意味では驚嘆し、かつ肯定する。それは原が言うように、奥崎にとって「法を犯すことが自己表現」だからである。2005年に亡くなるまで、彼はパート2を作りたがっていた。しかし原はその「次の自己表現は確実におぞましいものになる」と考え、作るべきではないと考えたからである。生前、奥崎が原に、「私が人を殺す場面を撮って下さい」と言っていたというから、何かそういうような凶行を自己表現として目指していたのに違いない。
 しかし奥崎の「自己表現」は80年代においてのもので、今では全くリアリティを失っているだろう。

 今はどういう時代か。
 別の記事では、星野智幸の小説『呪文』が取り上げられている。前文にこうある。
《例えば安倍首相は「日本人には指一本触れさせない」と唱え、1億総活躍という未来を描いてみせる。閉塞感の増す社会に提示する、一つの理想として、リーダーの掲げる「正義」に突き進む共同体は、どんな姿をしているのか。星野智幸さんの小説『呪文』は商店街を鏡に、日本の今を映し出す。》

 私は、小説の内容自体とは全く別に、こういう文章に途轍もない嘘臭さを感じるのである。それは、第一に、今の閉塞感というのは、戦前日本や、ナチス・ドイツの状況とは異質なものだということ。
 第二に、決定的に噴飯物なのは、安倍首相の「1億総活躍」という空疎なスローガンと日本社会の現状を、《リーダーの掲げる「正義」に突き進む共同体》などと意味づけてみせる滑稽さである。現在の日本にあるのは「究極の理想像を持って社会を変えよう」というような「同調圧力」などではない。そんな圧力など微塵もない。安倍のスローガンなぞ、どう呼号したとしても、そんな迫力を欠いているのだ。
 それをさらに、かつての大東亜共栄圏の「正義」=「全体主義」の呪縛に比較してさえいる。誇大妄想狂というしかない。それはただ小説の作者や、この文章の筆者(高津祐典)が「安定した価値観を取り戻そうと渇望し、今の社会は正義に呪縛されたがっている」と虚想しているに過ぎないのだ。
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2015年10月26日

拙い三題噺…

 これは閑話である。この欄も別に毎日書かなくてはならない義務も義理もないが、何となく新聞記事を漁って何か書こうとする根性が根付いてしまったのかも知れない。

 25日・朝日新聞日曜日の読書面から。
「ニュースの本棚」では三冊の本を挙げて、「TPP大筋合意」(筆者・水野和夫)の問題を扱っている。これは米国の帝国支配のシステムであり、「冷たい米国に片思いした日本」とある。菅直人と安倍晋三が、なぜTPPに積極的にコミットしたかの裏面を解剖する。
 グローバル化はいわばエントロピー増大のようなもので、避けようもないものだ。「日米同盟は、対ソ封じ込めから、対日封じ込めへと性格を変えた」というジョセフ・ナイの言葉が妙に肌寒く響くが、日本は大勢に流される中で、どうにか懸命に・賢明に生きていくしかないのだろう。しかし案外に日本は、そういう支配秩序の中でこそ、知恵を発揮する国柄なのかもしれない。昭和天皇の敗戦後の「国体護持」に賭ける対米的な活動はある意味では実に見事なものであったのだから。希望的期待としてではあるが…

「売れてる本」(筆者・瀧井朝世)では中島京子著の『かたづの!』が話題になっている。江戸時代にただ一人、女性の大名(祢々)がいた。八戸南部氏の城主だった夫を亡くして、自ら後継した。《大国である南部宗家から謀略を仕掛けられる度に「戦だ!}と息巻く臣下たちに対し、彼女は常に不戦を説く。八戸から遠野への国替えといった無理難題を命じられても、抵抗せずに居を移す。結果的にはその荒れた地で人々の生活を向上させてみせる手腕は実にあっぱれ。祢々いわく、戦で一番大切なことは「やらないこと」、二番目は「負けないこと」、さらに「さっさと止めるのも肝心」とも言う。》
 これはもう大東亜戦争のパロディとしか思えない。もし昭和天皇に祢々の見識と権力とがあったなら、この三つを見事に成し遂げたであろうのに…

 ロジャー・ブートル著『欧州解体――ドイツ一極支配の恐怖』(評者・諸富徹)ではEUへの懐疑と、イギリスの離脱を説く。
《なぜ、EUは駄目なのか。これまで、巨大経済圏の創出こそがパワーの源泉だとの(誤った)信念のもとに、域内市場統合を推進してきた。だが他方で、ビジネスに過干渉し、予算を無駄に使い、経済的基盤の強化を怠ってきた。世界を見渡すと、EUが経済的に停滞する一方、小国は相対的に経済パフォーマンスがよい。しかも、ユーロ導入は域内の経済格差を広げ、それを為替レートで調整する手段を各国から奪ってしまった。
 根本的な解決策として著者は、ユーロの南北間分割、EUの役割を真に欧州的な仕事に限定して多くを各国の自主性に委ねること、そして、さらなる統合深化を放棄すること、この3点を提唱する。
 だが、これが困難だとみる著者は、英国のEU離脱の利害得失を検討する。結論は、EUを離脱して北米や新興国とつながる方が、衰退するEUと運命を共にするより将来展望が開ける、というものだ。》
 EUの理想は宗教的なまでに美しく正義である。しかし本来が弱肉強食的な世界において、未だ国家の呪縛を解くことは不可能である。帝国的な秩序はありえても、完全に平等・対等の国際秩序形成は現実には望むべくもないのだ。かといって、各国がドイツの帝国的支配秩序に服するとも思えない。日本だったら、どんな「無理難題」でも「抵抗せずに」従い、それなりの「結果」を達成するだろうが…

 以上、拙い三題噺に過ぎない。無理に関連付ける意味もない。
 しつこいようだが、ついでに、村上春樹著『職業としての小説家』(評者・佐倉統)についての評者の見解についての感想を…
《彼は、日本語小説の文体に革命をもたらした人だ。文体を変えるということは表現の手法を変えることで、すなわち物の見方を変えることである。つまり、拠るべき価値観や規範を変えるということである。》
 佐倉は、村上のこの試行を「大瀧詠一や山下達郎たちによる、日本語でポップスを不自然でなく歌う音楽語法の模索に符合する」と言う。音楽のことはさておいて、村上の文体に関する限り、それは日本語小説の文体の「革命」というのは誤っているだろう。それは「更新」ではあっても決して「革命」ではない。(その「更新」の意義と価値とを私は大いに評価しているが。)何故なら、日本語で書く以上、それは日本的なるものの基層(それを象徴的に言えば「天皇制」的なるものと言ってもいい)を外れて在り得ないからである。それはいかにポップス的に見えようと、本質は日本的叙情の範疇内にあるものであり、であればこそ日本のみならず世界的な人気を獲得し得たのである。
posted by tabatabunsi at 16:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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