2015年12月30日

「東京一極集中の是正」には…

 今日〈30日〉の朝日新聞・社説は「東京一極集中の是正/多極化へもっと本気を」と訴えている。
 記事はまず「東京に迫る危機」は二つあると指摘している。一つは高齢化、もう一つは出生率の低下。その中で依然、東京への人の流れが止まらない。その結果、「東京が若い世代を吸い寄せ、日本の人口減少が加速する」「人口のブラックホール現象」が起きると警告している。
 その是正のためには、地方の力を相対的に強くしていくことが必要だ、という。
 地方分権、地方創生という言葉は踊るが、内実は伴わない。東京一極ではなく、地方の大都市を拠点にした多極型にすべきという提案がある。大阪、名古屋、札幌、福岡などの政令指定都市を核と位置づけ、東京の機能を分散していくとの主張である。現実的にはこれ以外にはないだろう。たとえば政府機関の地方移転という案もある。

 問題の核心は、なぜ日本では、これほどに一極集中なのだろうかということである。
 これについては司馬遼太郎の「中央と地方――いわゆる都鄙意識について」という口述論文が参考になる(『文藝春秋』昭和57年5月号、のち『歴史と風土』似収録)。これは懇切にかつ説得力をもって、日本史における中央・地方の都鄙構造の成立・歴史を詳細に跡づけたものである。
 司馬によると、日本史で地方分権的な情況を実現したのは、戦国末期から江戸時代にかけてのことだけである。《われわれの国に地方が存在したただ一つの期間です。年代にしたら、三百数十年でしょうね。飛鳥・奈良朝の成立から数えるとじつに短い。私ども地方に住む者にとって、日本史のそのような側面は、まことにさびしいかぎりです。》
 その根本原因は、日本という国のそもそもの成り立ちの時にある。中国でもヨーロッパでも、地方に大きな「歴史的力」があって、その上に中央が出来た。ところが日本では、「最初に中央ありき」だった。文化のきらびやかさのない、草っ原から始まった状態で、にわかに隋唐の文化が導入され、奈良の平城京が出現した。そして地方に「擬似長安」をばらまいた。中央は絢爛で、地方は粗放である。都と鄙の差別意識は最初から醸成された。それ以来の都鄙構造なのである。
 平安朝の初め、九世紀初頭に編修された『新撰姓氏録』というものがある。畿内五か国、1182氏の系譜を編んでいる。そのうち三割までが渡来系を明示していて、むしろ「誇るがごとく」であると司馬は言う。彼らは飛鳥・奈良朝の技術・学芸・行政の専門家の家系で、文明の光源たる大陸(朝鮮を含む)から文化を携えてやってきたという誇りを持っていた。
 ところが、平安末期になると、どういうことが起こったか。
 たとえば坂東開拓民である武士は、みな「源平藤橘」を称するようになる。《北は津軽の外ヶ浜から、南は種子島まで》そうなった。その結果、先祖は秦氏であるという人がいなくなった。前は秦始皇帝の子孫と称して、朝鮮半島を南下して日本に来たと自ら言っていたのが言わなくなった。坂上田村麻呂にしても、もとは東漢氏(やまとのあやのうじ)の出であると言っていたのが、その子孫は「源平藤橘」を名乗り始めた。
 司馬は言う。《平安朝は二百何十年つづいたわけですが、その間に何かあったんですね。中央志向、中央へのあこがれ、といったものでしょうか。いまは田舎にいるが、もとはといえば中央の「源平藤橘」なんだ、と。というのは、中央の一番の筋目が天皇か藤原氏の子孫ということでしたから。》
 この中央に軍事力が絶大にあったわけではない。地方が反乱を起こせば、中央を倒すことはできたのに、倒せない――いや、倒さなかったのである。それほど――武力にではなく、中央の文化に地方は慴伏していたのである。たとえば地方で反乱がおきるとする、すると中央から命令がゆく、地方の豪族や現地採用の官吏は恐れ畏んで、みなで反乱者をやっつけてしまう…。みな「源平藤橘」なのであるから。
 司馬は、「こういう仕組みが日本の天皇制をつくった」と指摘している。なぜ天皇制がこんなに長く続いたか。「源平藤橘」は天皇との距離が近いことになり、つまりそれだけ中央文化に近いということを意味するのである。

 さて、ではその革新のためにはどうするか。以下は、もちろん司馬の見解ではない。
 まさか「天皇制を廃止すればよい」というわけにもいかない。しかし少なくとも、たとえば天皇の住居を前近代の伝統に従って、京都に還したらどうだろうか。これは試みるに値する提案になるだろうと思えるのだが…。

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(付・社説)「東京一極集中の是正 多極化へもっと本気を」

 首都・東京へ向かう人の流れが止まらない。東京圏(東京、埼玉、千葉、神奈川)は昨年、11万人近い転入超過となった。転入超過は19年連続だ。
 安倍政権は地方創生を掲げ、東京一極集中の是正を目標とする。ただ、政府機関の地方移転が尻すぼみの兆しを見せるなど、本気度には疑問符がつく。
 20年の五輪を前に、都心ではさまざまな開発が進む。地方から人が集まり、東京は日本の成長エンジンであり続ける。人々が信じていても無理はない。
 だが忍び寄る高齢化が、東京の競争力を奪う恐れが出てきている。地方との共倒れを防ぐためにも、行き過ぎた一極集中に歯止めをかけていくべきだ。

 ■東京に迫る危機

 五輪が終わった後、東京の高齢者の数はさらに増える。
 国立社会保障・人口問題研究所の将来推計によれば、1都3県では10年から25年までの15年間で、65歳以上の高齢者が計223万人増える。一方、15〜64歳の生産年齢人口は、なお東京への流入が続くことを前提にしても、計195万人減る。
 「東京圏の経済成長率は25年を境に急速に低下する」。人口問題に詳しい松谷明彦・政策研究大学院大名誉教授はみる。
 すでに高齢化が進んでいる地方に比べ、高齢者の増え方が急激だ。「東京は相対的に貧しくなり、高齢者福祉のコストが財政を悪化させる。公共インフラの維持も難しくなる」と松谷さんは警鐘を鳴らす。
 東京のもう一つの問題は出生率の低さだ。1人の女性が生涯に産む子の数を示す合計特殊出生率は全国最低の1・15(昨年)。子育て環境の厳しさが言われて久しい。
 東京が若い世代を吸い寄せ、日本の人口減少が加速する。民間研究機関「日本創成会議」は「人口のブラックホール現象」と指摘した。
 時間がない。東京の危機をいま一度認識し、国を挙げて対策を講じていくべきだ。

 ■伝わらぬ覚悟

 政府が昨年末に決定した地方創生戦略には、「地方に30万人の雇用を創出する」「地方から東京圏への転入を6万人減らし、転出を4万人増やす」といった数値目標が盛られた。
 目指す方向に異論はない。ただ、当の政府が、どれほどの覚悟を持って取り組んでいるか。
 典型例が政府機関の地方移転だ。仕事と人の好循環を促すとして、今年3月から東京圏以外の自治体に提案を呼びかけた。
 中小企業が多い大阪府が中小企業庁を、京都府が文化庁の誘致に名乗りを挙げるなど、計69機関が対象に上がった。
 だが各省庁は「行政機能が下がる」「国会答弁に支障が出る」と反発した。政府は今月、検討対象を34機関に絞り込んだ。7省庁も候補には残ったものの、議論は先送りされた。
 高齢者の移住を促す政府方針も波紋を呼んでいる。元気な時に入居し、必要に応じて医療・介護が受けられる共同体をつくる構想が柱で、263自治体が受け入れに前向きだという。
 東京の高齢化の速度を抑える効果はあるかもしれない。ただ地方の人口構造を乱し、財政負担を転嫁する恐れはないか。制度設計は慎重に進めるべきだ。

 ■地方都市を拠点に

 一極集中の是正に向けては、地方の力を相対的に強くしていくことが必要だ。
 東京を除く46道府県と96%の市町村が地方交付税に頼る。この体質が変わらぬ限り、政府がことあるごとに「あめ」をばらまいても、格差解消は遠い。
 地方創生も、中央集権の色合いは相変わらずだ。国の構造をどう変えるか。分権の方向性を打ち出すべきではないか。
 東京一極ではなく、地方の大都市を拠点にした多極型に――。格差研究で知られる橘木俊詔(たちばなきとしあき)・京都女子大客員教授はこう提唱している。大阪や名古屋、札幌、福岡などの政令指定都市を核と位置づけ、東京の機能を分散していくとの主張だ。
 現実的な道だろう。政府機関の移転も、国がまず全体的なビジョンを示し、自治体と議論を詰めていくほうがいい。
 ただ、大都市が「ミニ東京」となるだけでは意味がない。多極化の効果が周辺全体に及び、新たな産業育成につながっていくような形が望ましい。
 そのためには、自治体が真の自主性を発揮できる仕組みが必要だ。税源と権限の配分を抜本的に見直していくべきだ。
 東京の華やかさに目を奪われがちな若い世代に、「地方で暮らす」という選択肢の魅力を示していくことも大切だろう。
 福井県は先月、「ふくい暮らしライフデザイン設計書」を公表した。福井と東京で23〜60歳を過ごす場合の家計収支を比べると、手元に残るお金は福井が3千万円多い、と試算した。
 地方の持ち味である住みやすさを、各地がもっと競い合う。そうなれば、東京一辺倒の人の流れも変わってこよう。
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2015年12月28日

科学と信仰の距離…

 原武史『昭和天皇』を繙読している。天皇の宮中祭祀に焦点を当て、天皇が神に向かって何を祈り続けたのか、という主題設定が新しく、かつ興味深い。
 もともと天皇家は祭祀王という伝統もあるが、昭和天皇の場合には、さらに付随的な動機付けがあるようだ。
 一つは母である貞明皇太后の影響もあるが、天皇自身の生物学研究もそれに資しているだろうという。元学友で、侍従や掌典長として仕えた永積寅彦の次のような発言が引用されている。
《陛下は生物学のご研究にご熱心でございましたが、私ども素人でも自然界の森羅万象を見ておりますと、その千変万化の現象を通じて、何か一つの統一、秩序整然たる統一があって、何かそこに万物を生々化育せられる神の存在をどうしても考えざるを得ないように思います。これは陛下にお伺いしたことではありませんが、先帝さまは生物学ご研究の上からも、堅いご信仰をお持ちであったと私は拝察しておったのでございます。》
 もう一つ、「天皇の祈りを本物にしたのは、戦争であった」と原は言う。
《太平洋戦争が勃発した翌年の一九四二年、天皇は伊勢神宮に参拝し、アマテラスに戦勝を祈った。戦況が悪化した四五年になっても、天皇は祭祀を続け、勝利にこだわった。六月にようやく終結に向けて動き出すが、天皇が最後まで固執したのは、皇祖神アマテラスから受け継がれてきた「三種の神器」を死守することであって、国民の生命を救うことは二の次であった。》

 これは信仰の機微を証しているだろう。人間は本気になると祈るものである。現象、統一、神の存在、…という弁証論理は頷けるものである。この点、人間というものの信の許容範囲はおそらく無限に近く広いものなのだ。
 その点で、最近のローマ法王によるマザー・テレサの「聖人」認定は参考に値する。カトリックでは、殉教者でない人が「聖人」に認定されるには、死後に2度の「奇跡」を起こしたことが認定される必要がある、というが、それが起きたために法王はマザー・テレサを「聖人」と認定したのである。
 マザー・テレサの二度の「奇跡」のうち、私でも最初の例は信じられる。マザー・テレサへ祈ったインド人女性の腹部腫瘍が消えたことは、これは本人の祈りであるのだから、そういうことが起こるのも自然に思われる。後の例は、2008年に脳腫瘍で危篤状態のブラジル人男性のために妻がマザー・テレサに祈った結果、回復したのだという。信力というものが他人をまで動かすというのは私にはかなり信じがたいが、まあ、そういうこともあるのかも知れない。
 これに比べて、天皇が祈ったアマテラスには、どういう功力があったのだろうか。

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(付・原記事、朝日新聞12月20日)
マザー・テレサ「聖人」認定へ 「奇跡2度起きた」ローマ法王が承認

 インドのコルカタ(カルカッタ)で貧しい人たちを救済する活動に尽くした故マザー・テレサが、ローマ・カトリック教会で最高位の崇敬の対象である「聖人」に認定される見通しとなった。フランシスコ法王が17日、承認した。
 1979年にノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサは、97年に87歳で亡くなった。その後、バチカン(ローマ法王庁)による審査で、マザー・テレサへ祈ったインド人女性の腹部の腫瘍(しゅよう)が消えたことが奇跡と認められ、2003年に「聖人」の前段階である「福者」に列せられた。
 殉教者でない人が「聖人」に認定されるには、死後に2度の「奇跡」を起こしたことが認定される必要がある。ANSA通信によると、08年に脳腫瘍で危篤状態にあったブラジル人男性のために妻がマザー・テレサに祈った結果、回復したことが今回、2度目の奇跡と認められた。(ローマ=山尾有紀恵)
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2015年12月25日

天皇と戦争と責任と…

 25日・朝日新聞朝刊から。
 まず「天声人語」は、予想されたように現天皇の記事。44年前の当時皇太子だった夫妻の「戦没船員の碑」(神奈川県・三浦半島)の除幕式のことから始まって、82歳の誕生日に際しての会見で、「先の戦争」への哀悼の表示、それに今日(25日)が大岡昇平の命日というので、その代表作『野火』の一節を引用する。「戦争を知らない人間は、半分は子供である。」
 私は今の天皇には、6歳年上の兄のような親しみとそれなりの畏敬感を持っている。だがしかし、こういう歯の浮くような天皇賛美の言説に接すると、これは一体何だ、と思わざるを得ない。朝日よ、天声人語子よ、天皇に頼るのは止めよ。
「文化・文芸」面で、テッサ・モーリス=スズキは、「戦後生まれの戦争責任は」と問い、それに対して「罪はないが、事後の共犯的関係」がある、とする。
 彼女は、罪はないが、インプリケーションがある、という。これは訳すると、「連累」となる。つまりそれが「事後の共犯的関係」である、と。
 これはややこしい。連累ということを言いだせば、この世にある、あらゆることがそれに該当することになるだろう。この世は、一念三千、森羅万象、すべて関係のないものはない、という思想である。
 それを言いたい理由はよく分かる。つまり、朝日的な発想では、この世は理想主義的な生き方、在り方、行き方、老い方、病み方、死に方しかないというのだろうが、しかし現実は、野垂れ死に的な生老病死の姿が実相ではないのか。
 要するに、これは言うは易く行うは難し、の典型的な例なのである。
posted by tabatabunsi at 23:24| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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