2016年04月29日

『実録』メモ I誕生

 今日は昭和の日(祝日)、昭和天皇の誕生日である。朝日新聞朝刊には特段の関連記事はなかった。ただ「春の叙勲」の政府発表が29日付になっているのは、この日と関連しているのだろう。秋の叙勲が11月3日の文化の日(戦前の天長節・明治節、明治天皇の誕生日)になっているのと対応しているのだろう。
 以前はこの日は「みどりの日」だった。(1989年から、2006年まで)これが2007年に「昭和の日」となってから、祝日としての「みどりの日」は5月4日に移った。この点についての祝日法改正が三度にもわたっての国会審議での結果だったことも、この日の政治的ニュアンスが読み取れる。

『昭和天皇実録』の18冊刊本の「第一」開巻冒頭記事(明治34年=西暦1901年4月)の「標目」は「御誕生」である。
 本文は次の通り。
《二十九日 月曜日 東京市赤坂区青山の東宮御所内御産所において皇太子嘉仁親王(大正天皇)の第一男子として御誕生になる。この日皇太子妃節子(貞明皇后)には御前より御出産の徴候あり、午後三時四十分侍医相磯慥の拝診をお受けになり、七時頃御産所に入られる。この間、東宮拝診御用橋本綱常・侍医局長岡玄卿始め東宮附侍医局員が相次ぎ参殿する。午後十時十分御降誕、御身長一尺六寸八分(約五十一センチメートル)、御体重八百匁(約三千グラム)。御産所御次ノ間において御産湯を受けられる。なお、宮内大臣田中光顕は御産所に伺候のため急ぎ参殿するも、御安産につき御出産には間に合わず。》
 淡々たる、事項本位の記述である。田中宮内大臣の伺候が出産に間に合わなかったという事項を付け加えたのは安産ということの強調のためだろう。その時に大地は六種に震動もしなかったし、明星出現の奇瑞も起こらなかった。ごく平凡な生物学的な生誕の事実のみがあったに過ぎない。

 司馬遼太郎の『この国のかたち』(五)の「あとがき」には次のようにある。
《若い一時期、自分はヒトとしてうまれてきたのだ、と懸命に思おうとした。そう思うと、やや野放図な、天賦ということばが示すような、自由な気分がわきおこった。
 が、うまくゆかなかった。むろん、ヒトであることは、形質的にも解剖学的にもまぎれもないことだったが。
 私の学生時代、学生への徴兵猶予の恩典が停止され、いわゆる学徒出陣≠ナもって、にわかに軍人になった。
 私にも人生の設計があった。しかしそれらは一挙に雲散霧消した。本来、人間は自由に選択しつつ自分の一生を送りうると思いこんでいたのだが、国家が、自分の人生を攫ってしまった。たれが国家にそんな権能を付与したのだろうと思ったとき、憲法に徴兵の義務がある、ということを、いまさらのように気づいた。
 私は、法科の学生ではなかったが、自国に憲法があることを気に入っていて、誇りにも思っていた。
 それが制定されたのは祖父の世代で、当時、たれもが法治国家のもとに平等の国民になったことを、提灯行列までしてよろこんだという。である以上はこの不意の徴兵は仕方がない、とやっと観念した。
 つまりは、ヒトは、無人の曠野にうまれず、その民族やその国家、社会、さらにはその文化のなかにうまれてくるのである。さらにいえば、その歴史のなかにうまれてくるのであって、どうやらカエルやサルやハナムグリのような自由„をもたないものらしい。もっとも、それらの生物もまたその社会にうまれてくる。ただかれらはヒトとはちがい、歴史のなかにはうまれて来ないのである。
 そういう迂遠な感懐が背景にあって、『この国のかたち』を書いている。(一九九五年暮)》
 ここでの「歴史」という語の意味は「物語」とほぼ同義であるといっていい。ヒトもハナムグリ(サル・カエル)も、社会の中に生まれ出る点では生物として同じだが、それを自己認識し、言語化し、物語化する存在であるかどうかが異なる。その意味の「歴史」=「物語」は、いわば正負の両義性を帯びている。
 人間は、自己を歴史の中で捉える故に、一本の葦のように弱い存在でありながらなお全宇宙に対して独自の尊厳を持ち得ることもできる。と同時に、その歴史(物語)によって自然状態のもたらすもの以上の苛酷な実存的情況にも耐えなければならない存在でもある。

 昭和天皇ほどこの意味の「歴史」の物語性の栄光と悲惨を一身に背負って歩んだ存在は稀有であろう。批判にせよ、讃仰にせよ、その歴史の跡をたどることの必要はそこにある。
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2016年04月28日

『実録』メモ H「個人と人」の問題

 従来の「日記」カテゴリとは異なり、この「実録・メモ」では、『昭和天皇実録』本文から外れた事項はなるべく(原則)入れないことにしたいと思っているのだが、しかし、天皇観に関連する限りで扱うことにする。

 朝日新聞では、以前から、自民党の改憲草案についての分析・批判記事を掲載している。今日はその一段落の回になっている。(全文は末尾に付す。)
 そこでは「普遍」と「固有」という問題が論じられているが、言葉の意味はあまり明確ではない。
 端的に言うと、最後の文に尽きる。
《「普遍」から「固有」へ。「個人」から「人」へ。変わる言葉は、ほんの少しだ。でも、その数文字が、日本人の、いや、私の生き方を大きく変える可能性がある。》
 しかし、生き方は、文字によって全く変わらない。それに次の文も誤りだ。
《行列に整然と並び、礼儀正しく、よくごみ拾いをする。そんな世界に称賛される生き方をするのが日本人なのだ、と。
 でも、みんなが、そんなに「すごい日本人」でなければいけないのだろうか。その和の中に、「だらだらしたいからごみ拾いはしない」という私がいてもいいのだろうか。そういうそれぞれの個人の生き方を国家が妨げないよう、保障してくれるのが憲法ではなかったのか。》
 憲法はそんなことを保障などしていない。それは自分で決め、自分で戦い取るものだ。それに、この文章を読んでいると、何かしら「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」という自民改憲草案が魅力的にも見えてくる気がする。人間には抽象のお化けのような普遍よりも、自分固有のものを好む性格がある。
 天皇制というのは固有のものである。それを好もうが嫌おうが、現にそれは存続し、我々の文化の骨髄と化している。どちらかというなら、私は嫌いの側に属するが。
 天皇制だけではない、梨園とか、家元とか、出雲の千家から真宗の大谷家まで、世襲=血筋の(万世一系かどうかは別として)法統連綿たる連続性・同一性を温存して、何が「普遍」だと私は考える。
 私は毎日少しずつ、『実録』を読んでいる。それはあまりにも濃厚で濃密な固有の世界である。普遍を言うなら、その前提の状況をまず知ってからだろう。

***(資料)
《憲法を考える――自民改憲草案》「個人と人:下」
「すごい日本人」像、私を縛る

 現行憲法の前文には「普遍」という言葉が2度、登場する。主権が国民に在るということは「人類普遍の原理」であり、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」という政治道徳の法則もまた、「普遍的」だという。
 普遍を広辞苑でひけば、「あまねくゆきわたること。すべてのものに共通に存すること」とある。もし、本当にみんなに共通にあることなら、なぜしつこく強調するのだろうか。
 「日本は戦前、独特の国体概念に基づく明治憲法の下で、非常に特殊な道を歩んで、侵略戦争をするに至った。この憲法は、そこからまた『普遍』の道に戻りますよ、という決意表明だった」。関西大学の憲法学者、木下智史教授は言う。
 「万世一系」の天皇に主権があるとして、日本の独自性を強調した明治憲法は、「天皇の臣民である日本人は他の民族と違う」という優越感を生み、戦争を支えた。日本は、その過去を反省し、国民主権や他国の尊重などを普遍的な価値だと考える国として再出発する。憲法には、そう国外にアピールする意味もあったのだという。
 昨年4月、安倍晋三首相が訪米した際に発した日米共同声明でまず強調したのも、かつて敵対した日米が今は「アジア及び世界において共通の利益及び普遍的な価値を促進するために協働」しているという点だった。
 だが、自民党草案では、この「普遍」が二つとも消えている。その代わりに草案は、「日本国は、長い歴史と固有の文化」を持っている、とまず宣言し、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と続く。
 日本の憲法に詳しい米国エール大の憲法学者ブルース・アッカマン教授はこの草案が、和を尊ぶことが人権に優先するように読める、と懸念する。「日米関係の基本にあるのはまさに、基本的人権などの普遍的な価値。憲法前文から『普遍』を消すことによって、両国間の信頼関係や結びつきは損なわれてしまうでしょう」
 誇りと気概を持って。和を尊び。互いに助け合って。
 「普遍」が消えた草案に新たに現れた言葉を眺めていると、日本人としての生き方が示されているような気がしてくる。それは、ここ数年、テレビや雑誌がさかんに取り上げる「すごい日本人」像にどこか重なる。行列に整然と並び、礼儀正しく、よくごみ拾いをする。そんな世界に称賛される生き方をするのが日本人なのだ、と。
 でも、みんなが、そんなに「すごい日本人」でなければいけないのだろうか。その和の中に、「だらだらしたいからごみ拾いはしない」という私がいてもいいのだろうか。そういうそれぞれの個人の生き方を国家が妨げないよう、保障してくれるのが憲法ではなかったのか。
 「普遍」から「固有」へ。「個人」から「人」へ。変わる言葉は、ほんの少しだ。でも、その数文字が、日本人の、いや、私の生き方を大きく変える可能性がある。(守真弓)
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2016年04月27日

『実録』メモ G平成史との比較

『平成史』という本を図書館で見たので、借りてきて瞥見してみた。
 小熊英二の編著だというので、期待したのだった。
 その内容は、次のようなものだった。
 平成の歴史には、際立った特徴というものがない、というのが平成の特徴だというのである。
 これは、意外に凡庸な結論のような気がする。
 それなら、それは要するに、自語相違、自界反逆、自同律の相違、矛盾律、等々の問題に帰するのだろう。
 つまり、それは、平成には、よって自ら独り立つ気概がないということを証明しているのである。
 それは、昭和天皇と、平成天皇(今上)との差異なのである。
 言い換えれば、激動の時代と、平穏の時代との、差異である。
 昭和天皇は、一世に二身を経た存在であった。
 平成の天皇は、人柄はいいし、奥さん(美智子さん)もいいし、皇太子もその妃である雅子さんも、娘の愛子内親王もいい。

 何よりも、昭和は激動の時代だった。後から振り返って見れば、常に激動の時代は思い出も深いものである。
 日本史上で、幾度も、平安の世相が続いた時代が確かにある。
 奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、徳川時代、など。
 その間、大災害は数知れず、起こったのだが、それは「てんでんこ」に過ぎ去ってしまったのだった。
 今の天皇に対しては、私は、少し年上の兄貴のような気持でいる。美智子さんは、魅力ある義姉というい感じ。愛子さんは、可愛い姪のような。
 とはいえ、平成天皇・美智子皇后には、それ以上のドラマはない。

 この違いはどこから生じるか。
 その治世の時代に、戦争が起ったか、起こらなかったの差異である。
 日本史上、記憶に残る天皇というのは、すべて戦争(内戦にせよ、外征にせよ)に関連するのである。
 天智天皇、天武天皇、後白河法皇、後鳥羽上皇、後醍醐天皇、までで、以後は、せいぜい、孝明天皇ぐらい。そこから後は、近代の明治・大正・昭和・平成の諸天皇である。
 興味本位に言えば、動乱とか、災害とか、事件とか、血腥いことが庶民はすきなのである。
 確かに、平成にも、数々の事件はあった。
 阪神淡路大震災は平成7年、東北大震災は2011年、…
 そして、今年の熊本地震。しかし、敢えて言うならば、ぞれが「地震・雷・火事・親爺」の範疇に過ぎず、そんなことは地球始まって以来の歴史に徴すれば、どうということもない頻発の事件に過ぎないのである。

 平成の不幸とは何か。
 それは、ドラマがない、ということである。
 ちなみに、天災というのは、どんなに大きなものであろうと、それはドラマにはならないのである。
 何故なら、ドラマ=劇には、人為の要素が必要だからである。天災にはそれがない。だから、そこにはドラマはない。
 現在、現代では、そこに無理にもドラマを見ようとして、こじつけ的にいろいろなことを言っているが、それはすべて空しいのである。
 平成の歴史は、どこまで行っても、面白くはならないだろう。
 それは、この時代では、おそらく戦乱も、革命も、内戦も、起こることはあり得ないだろうと思われるからである。
 今の天皇・皇后は、ある意味、天皇というものの本質を最もよく弁えた存在であるのかも知れない。
 各地を回って、慰労し、慰藉し、贖罪している。あたかも、明治・大正・昭和の重なる罪を詫びるかのように。…
 その誠意はよく分かる。しかし、それはドラマにはなり得ないだろう。
 平成史は読んで面白いというものではない。小説ではないから虚構はない。といってノンフィクションでもない。つまり物語ではない。
 それはせいぜい、記述資料の羅列に終ってしまうだろう。
posted by tabatabunsi at 00:08| Comment(0) | 『昭和天皇実録』メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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