2017年02月28日

『実録』メモ (101)漢詩人大正天皇

『大正天皇漢詩集』(石川忠久編著、大修館書店)を読んでいる。
 昭和天皇の「帝王学の時代」をしめくくるに際して、父の大正天皇の伝記を読んでみた。明治・昭和の両天皇の伝記が数多いのに対して、大正天皇の伝記は今のところ、原武史、古川隆久、F・R・ディキンソンによるものしかなく、また『大正天皇実録』も補訂版の「第一」が公刊されたばかりである。父の明治と子の昭和に比較して、あまりに均衡を失した少なさである。
 私自身は、前から大正天皇には興味というか、好意を持っていた。丸山眞男の文章から知った遠眼鏡事件でも、決して悪感情も、軽蔑感も持たなかった。むしろ、その飄逸たる人間味に惹かれた。上記の伝記群をすべて読んでみて、この人は、軽忽なるところが多分にあるとしても、気さくで偉ぶらず、睥睨などすることは凡そない、ごく話し易い人である、という印象だった。
 その大正天皇が漢詩を多数、作っているということを知って、興味を覚えた。その短い生涯の間に、彼は実に1367首の漢詩を遺した。歴代天皇中の第一位であるらしい。第二位が後光明天皇(110代・江戸初期)の98首、第三位が嵯峨天皇(52代・平安初期)の97首だというから、圧倒的な数である。同じ石川忠久の編著に『大正天皇漢詩集』があり、精選された268首が掲載されている。
 最初の漢詩は次の通り。
《東風梅馥郁(東風に梅馥郁たり)
 天地十分春(天地 十分の春)
 喜見昌平象(喜び見る 昌平の象)
 謳歌鼓腹民(謳歌す 鼓腹の民)》
 全体に平凡かも知れず、また「十分」という語は和臭が強く、詩的ではない。しかしこれは最初期の作であり、未熟の点も仕方ないだろう。だが何となく読んで気分がいい。のびのびとした人柄が偲ばれる。その後、「至尊」という父・明治天皇の詩も、やや畏敬感が過ぎているけれども、これもいい。その次、「過目黒村」の《雨余村落午風微(雨余の村落 午風微かなり)/新緑陰中蝴蝶飛(新緑陰中 蝴蝶飛ぶ)/二様芳香来撲鼻(二様の芳香来りて鼻を撲つ)/焙茶気雑野薔薇(茶を焙る気は雑わる 野薔薇に)》という詩のさりげなさも捨てがたい。構成はかなりぎこちないし、「二様」の語も和製漢語だろう。という風に、次々と読んでみると、どの詩もいい、という気がしてくる。その中で、次の「到塩原訪東宮」(塩原に到り東宮を訪う)という詩に目が留まった。
《巌下流水有清音(巌下の流水 清音有り)
 屋後青山好登臨(屋後の青山 登臨に好し)
 塩原光景佳絶処(塩原の光景 佳絶の処)
 東宮相見情転深(東宮 相見て 情転た深し)
 攜手細径楽間歩(手を携えて 細径に間歩を楽しみ)
 亭午同餐共怡心(亭午 餐を同じくして 共に心を怡ばす)
 帰路入山又出野(帰路 山に入り 又た野に出づ)
 暮色蒼茫満雲林》(暮色蒼茫として 雲林に満つ)》
 これは子である東宮、すなわち後の昭和天皇の事を詠んでいるのだが、これは正確にいつのことだろうか。これは大正二年の詩らしい。実際にその年の『昭和天皇実録』にあたってみると、8月30日の項にこうある。
《土曜日 午前十時三分、日光より塩原御用邸に行幸の天皇を御車寄階下において御奉迎になり、御座所において御拝顔になる。それより御一緒にて内庭を御散策の後、御昼餐を御会食になる。(以下省略)》
 この典拠の一つに『大正天皇御製詩集』が挙げられているのを見ても、その漢詩への高評価が分かるだろう。これらを読み通してみて感ずるのは、大正天皇の資質、――繊細で、人懐こく、要するに人間味の豊かな人という印象である。石川忠久は彼を「文人の気質」と言い、こう結論している。
《つくづく思うに、天皇は晩年脳を患われ世と相離れてご生涯を送られたが、それは偶々日本の国勢拡張期に遭遇し、富国強兵の思潮の渦に否応無しに翻弄されたことに因ってのことではないか。もし天皇が奈良、平安の雅な世にお生れになっていれば、その文人の気質は伸びのびと揮われたのではないか、と。》
 確かにそうである。時代に生まれ合せる幸運と不運と。孝明、明治、大正、昭和、そして今上〈平成)と、五代にわたる天皇家の歴史の如実な表現、現れだと思われる。
 もし、大正天皇があと20年生きていたとすれば(これは決して架空論ではない。その頃でも60歳位の人は少なくはなかった筈である)、未曽有の敗戦・亡国の状況を経験したのは昭和天皇ではなくて、実は大正天皇だった、ということも有り得ることだろう。
 もしそうなったら、近代天皇の中で記憶に残ったのは、創業の明治と下降の大正、とい対比だったろう。戦後復興を担ったことになる昭和天皇の記憶はかえって薄れていたのではないか。
 これは元号の迷蒙、錯覚、妄想によるものである。
 偶々、近代になって、初めて一世一元の制度が決まった。それによって、元号の意味が決定的に異なることになってしまった。つまり、日本人は今でも、西暦年号の簡便さよりも日本的な元号の歴史的な神秘性に魅力を感じているのらしい。普通に考えれば、天皇が変ったことで時代が変わる、などということなど有り得る筈もない。それは錯覚に過ぎないのだが、日本人はそれを好むのである。
posted by tabatabunsi at 23:16| Comment(0) | 『昭和天皇実録』メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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