2017年05月19日

街道論 @『街道をゆく』のこと(はじめに)

 私は今までに『街道をゆく』の全体(全四十三巻)を二度、読了している。最初に読んだのが朝日文庫判で、何年か後に二回目の読了を試みた時は気分を変えて「日本の古本屋」で一括購入した単行本で読んだ。今度の三回目はワイド版を新たに購入して読み始めている。
 私は以前、司馬遼太郎記念館会誌である『遼』に依頼されて、『街道をゆく』についての試論を発表したことがある(2010年秋季号・第37号、10月20日刊)。その最初に私は次のように書いた。
《私は司馬遼太郎没後の読者で、八年前、ほんの偶然から読んだ初期短編集『ペルシャの幻術師』に衝撃を受けてから、憑かれたようにして司馬の全著作を繰り返し読破することになった。昨年上梓した『司馬遼太郎とエロス』、『司馬遼太郎 歴史物語』という二冊の本は『ペルシャの幻術師』から『韃靼疾風録』にいたる司馬の全小説について研究したものであるが、その主著である『街道をゆく』の解読については今後の課題として取り組んでいる。》
 それから数えると、すでにもう七年近くになるが、結局まだ本格的に着手するに至っていない。怠ってきた理由について説明するのは難しい作業になるが、簡単に言うと、第一には『街道をゆく』の内容があまりに広く、主題も論題も多岐にわたり、焦点を絞りにくいことである。第二に、その語りがあまりにも自由で、これを自在と言えば褒辞であるが、悪くすれば散漫になりがちになることである。これは司馬の本領である小説そのものでは勿論ないが、しかしまた論旨一貫した論文やエッセイでもない。それは紀行であるかどうかさえ疑わしい。こういう著作について俯瞰的で体系的な視点を持つことは実に困難である。
 第三に、私の側の事情を言えば、私は司馬遼太郎の晩年における著作の根幹について、ある疑念・懸念・違和感を持っていて、それが完全には払拭できないからであった。それが何かを今ここで述べるのは難しいので、おいおい解き明かすということにしたい。ともかく、ようやくその私にとっての「謎」を諦らかに見ることができるようになったのである。…

 それでこの「『街道をゆく』断章」を始めることにする。表題の中では、このカテゴリは「街道論」と略称する。

 ここで『街道をゆく』についての書誌的事項を記しておく。
 このシリーズは、昭和四十六(一九七一)年一月一日号からの「(1)湖西のみち」から開始され、最終編が「(74)濃尾参州記」(中絶)で、平成八(一九九六)年一月十九日号だった。司馬の四十七歳の年から始まり、七十三歳になる少し前で終った。休載を挟みながら、全体は二十五年間余にわたり続き、一一四七回(章)に及んだ。単行本(文庫判も)は全四十三巻、一章すなわち連載一回分の分量は四百字詰原稿用紙で約十五枚半である(朝日新聞社編『「司馬遼太郎・街道をゆく」エッセンス&インデックス』による)。
 この紀行を書きながら、司馬はほぼ同時に、『坂の上の雲』のサンケイ新聞連載、『城塞』の「週刊新潮」連載、『花神』の朝日新聞連載等を併行して書いていた(『世に棲む日日』の「週刊朝日」連載は前年の十二月に終了していた)。
posted by tabatabunsi at 15:58| Comment(0) | 『街道をゆく』断章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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