2017年05月23日

街道論 C『街道をゆく』の論題

 初めにも書いたが、私はこの『街道をゆく』シリーズを最初は文庫判で通読した。その時、ページの余白にかなり詳しい書き込みをした。次の時は単行本を古本で全巻一括購入し、今度はあらかじめ用意した項目群に従ってメモを取りつつ、新たに通読した。当初はこのメモ集を元にしてすぐにでも『街道をゆく』論をまとめたいと考えていたが、なかなか取りつけずに遷延してしまった。その理由はいくつかあるが、一つはあまりに内容が多彩であり、論題が豊かすぎて、焦点を絞り込むのが難しかったということがあった。もう一つは、司馬については詳しく深く読み込んできたと自負していたが、ただ幾つかの疑点というか違和感というか、心の澱みが残っていて、それをどう解釈するかという問題が解決できないでいた。今でも全く心残りなく昇華し得たとは思わないが、まあ何とか公平で余裕のある視点を確立できるようになったという気がする。この点はおいおい論じてゆくこととして、今はまず、私の論題群のカタログを示しておくことにする。

 私のノートには、各編別に次のような項目が立てられている。

・歴史紀行(人間と風土)
・日本(人)論
・祖形(原型)論
・朝鮮論
・天皇論
・宗教・思想論(神道論・仏教論、その他)
・辺境・民族・国家論
・神聖価値論
・現代社会批判
・土地問題
・自伝的言説
・同行者(インフォーマント)

 論題はとにかく豊富である。司馬の絶妙な話術で、街道をゆくに従っての道行式の語りの芸が発揮されている。
《この稿は、咄が飛ぶ。
 本来、私は、
「朽木街道」
 という湖西の古街道にむかって粉雪の舞うなかをすすんでいるはずだが、しかしどうも咄が飛ぶ。つまりそういうことで、飛ぶことにひらきなおって、そういう体の式でゆきたい。
 もっとも、飛んだ風船は追っかけて糸をつかんで、ちゃんと締めくくらねばならないが、そこは街道というもののありがたさで、自然に街道自体が締めくくってくれる。街道はなるほど空間的存在ではあるが、しかしひるがえって考えれば、それは決定的に時間的存在であって、私の乗っている車は、過去というぼう大な時間の世界へ旅立っているのである。》(@28)
 しかし街道を行くのに、そこに一貫した調子がないということはあり得ない。奥州路を辿る『奥の細道』には「咄が飛ぶ」などはあり得ない。どこへ行くにしてもそこには芭蕉の風雅の心が基調にある。また『土佐日記』や『更級日記』は意図した紀行ではなく一貫した主題もないが、紀貫之や菅原孝標女の人生自身がそこに投影されている。それに対して、司馬の『街道をゆく』はもちろんその過程に司馬の人生の変遷が反映しているのは確かだが、それを表現することに目的があるわけではない。司馬の街道紀行は司馬の問題意識を追って辿るものであり、その意味では現代のルポルタージュとは異なるものの、いわゆる普通の紀行文を読むときの芳醇な味覚には乏しいのはやむを得ないが、しかしその問題意識における魅力が連載を支えている基軸なのである。
 では、その問題意識の一貫性とは何か。それは日本(人)論である。
 しかし、「歴史紀行」部分と「祖型探索」部分とは明らかに調子が異なり、主題的な連関性が必ずしも保証されてはいない。話題が「歴史紀行」から「祖形探索」に転換したり、またその逆だったりする時、その接続があまりうまく行かない場合もあり得る。
 実際に、それを(1)「湖西のみち」で検証してみよう。
 これは「楽浪の志賀」「湖西の安曇人」「朽木渓谷」「朽木の興聖寺」という僅か四つの章で構成されている短編だが、前半の二章は「祖型探索」に重点があり、朝鮮渡来人のことが主題になっている。この主題には新味があり、かつ興趣がある。対して後半二章は「歴史紀行」と言える。そこには、織田信長の元亀元年(一五七〇)における「退却」と、無名の足利将軍義晴の流寓のことが語られる。それ自体の話は面白い。だが、私には信長のこのエピソードは既に『国盗り物語』の「退却」の章で読んでいたことであり、それ以上に今、この湖西の道を辿る旅の中で語られる必然的な連関性には欠けているのである(先に引いた文章はまさにこの繫ぎ目の部分に出てくるのだが、それを「自然に街道自体が締めくくってくれる」ということで済ますのには無理がある)。ただその接ぎ目は、前にも引用したが、この朽木渓谷が「若狭湾から京や奈良へゆくための古街道」だったということにあり、そこでかろうじてこの編の前後の関連と融和感が保たれているのである。つまり「祖形探索」という要素こそ、この連載紀行の主題であり眼目であったのである。その主題の強さと深さとが紀行の魅力を確かなものとした。
 繰り返して言うが、この連載の総主題は「日本(人)論」にある。祖形論も天皇論や宗教論もそこに繋がってくる。当然、歴史紀行の部分もそこに組み込まれることになる。それを外した単なる講釈的な歴史談議は最早、いわば二番煎じのものとならざるを得ないのである。
 この問題は、連載を始めてからすぐに司馬の感じるところだっただろう。彼は次第にこの総主題の意識の明確な紀行を中心とするようになる。そしてそれは必然的に中長編化への傾向を強めることになっていき、短編はどちらかというと時々の息継ぎ(あるいは埋め草)的な位置を占めるものになる。
 補足すると、「歴史紀行」部分でも、幕末維新の話は戦国時代の話にくらべてより新鮮味があると言える。それは一つには近代・現代との関連性がより深いからであるが、さらに重要な点は維新から近代初期への物語は司馬の小説展開にとっては現に進行中のものだったからである。『街道をゆく』と併行して書かれた『坂の上の雲』と『翔ぶが如く』はまさに近代初頭の時期の物語(日露戦争と西南戦争という)だった。特に同時併行となった『翔ぶが如く』で追及された「若衆組」の問題などは、その後彼の中心課題となる「統帥権」「魔法の森」への萌芽だったのである(この問題は『街道をゆく』で追及され、後には『この国のかたち』で再説されることになる)。
posted by tabatabunsi at 14:09| Comment(0) | 『街道をゆく』断章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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