2017年05月26日

街道論 F『街道をゆく』時期区分の意味

 先のように時期区分をする理由は何よりも前期・後期を分けることによって、その隔絶した相違点を明瞭ならしめることにある。
 前期は、分析・革新・未来・祖形…の直線的な追及・追求にその特徴がある。
 後期は、総合・保守・懐旧・伝統…の曲線的で逍遥的な低回にその特徴がある。

 幾つかの前・後期の違いの特徴がある。

 第一に、前期においてはほとんど観光的な名所というところはなかった。意識的に避けられていた。しかし後期では、ある意味、観光名所とも思しいような名所・旧蹟・行事の記述が多くなる。例えば、「近江散歩」でもそうであったが、次の「奈良散歩」の修二会見学記事の詳細で綿密な記述を読んで、私は驚きを禁じ得なかった。かつての司馬だったら、こんな懐旧的な記述をこれほど能くし得ることはなかっただろうが、後期の司馬は徹底的に故郷懐旧的であり伝統回帰的であり聖所保存的であり列聖顕彰的であった。
 司馬はいつも徹底的に、小気味よいまでに、合理と共和というか、反逆的な人間列伝を評価してきたはずだった。戦国の斎藤道三、織田信長、明智光秀(『国盗り物語』)、石田三成(『関ヶ原』)等、また幕末の土方歳三(『燃えよ剣』)、坂本龍馬(『竜馬がゆく』)、河井継之助(『峠』)江藤新平(『歳月』)、西郷隆盛(『翔ぶが如く』)等、…。
 ところがここでは、司馬はあくまで伝統保守の立場に立ち、かりにも旧習墨守の謗りをも否もうとはしないかのようである。実際に、これ以後も、嵯峨、飛騨、阿波、白河、会津、赤坂、大徳寺、中津、宇佐、本所、深川、神田、本郷、等の伝統的な色彩を濃く保持する場所・界隈を「散歩」することになる。そこにはかつての求心的で問題解析的な姿勢はなくなっており、遠心的で遠景崇拝的な心情のみが強く表れている。

 第二、叙述の姿について見ると、何よりも言えることは、『街道をゆく』後期の作品群における、いかにもしっとりとした筆致である。後期の作品には凡作がなく佳作が多い。ある意味、司馬の本領がこれほど発揮された作品群というのは他に乏しいかも知れない。それは司馬の初期の伝奇的な小説の時代を想わせる。
 かつて丸谷才一は、司馬における「前近代的」な要素(例えば『梟の城』での)に触れて、こう言っていたことがある。
《前近代の魅力をこれだけ書ける司馬さんは、前近代に対する憧れを濃密に持っていたはずだと思うんですが、それを捨ててしまったんじゃないか。ここのところともう少しつき合っていたら、欲をいえばキリがないですが、もう一回りもニ回りも大きな存在になっていたとおもいますね。》(井上ひさしとの対談「司馬作品の魅力を語る」、『文藝春秋』平成八年四月号)》
 つまり、言いたいことは、前期は鋭く、後期はまろやか、であるとして、私は前期の求心的で真摯で解明的な姿勢に共感するのだが、一方で、後期の低回的で、ゆったりと濃密な叙述にも魅力を覚えざるを得ないということなのである。

 第三に、ちょっと異様な言葉かも知れないが、私はこれに「列聖」という言葉を選びたい。
 勿論、この「列聖」という語は、本来はカトリックの用語であって濫りに用いるべきものではないが、ここではいわば司馬自身が法王になったかの如く、或いは日本的な意味での天皇になったが如くに、国を誉め、人を誉め、風土(国)を誉めようとするかのようなのである。
 後期における司馬の諸街道への旅は、いわば彼が俯瞰的で天皇的な視点での立場を維持しようとしているかの如くである。例えば、私は、「檮原街道(脱藩のみち)」の中での次の情景に惑耳驚心したのだった。
 それは彼がそこでの千枚田=棚田を見て、感動・感銘して、こう言う場面だった。
《すべては黄昏の光と翳がつくっている色調なのだが、光悦の金蒔絵を見るように豪華だった。
「この田、見ました」
 私は、たれにお礼を言うという相手のないまま、町長さんに頭をさげた。千年来、檮原の山々にきざみつけてきた先人の営みは、この田が証している。》
 ここで司馬は、見る人、見神者であり、或は自己認識としては天皇の国見のような全能者である自分を想定したかもしれない。おおらかな自己肯定であり、自己見神というべきかもしれないが、これは司馬としては曖昧境、法華・念仏三昧境でもある境涯だった。
 そこに現れた意識は、司馬が、最極天では高貴な天皇でもあり、最低地では哀れな持滓でもあるような表裏・二面の現身であった。時に全能・最高の神になるかのように、時に無能・最低の神であるかのように、自在な表現を得ている存在であった。
 ここで司馬は、いわば自身を神として考えたのだった。
posted by tabatabunsi at 00:48| Comment(0) | 『街道をゆく』断章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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