2015年09月24日

「天皇制民主主義」とは @加藤哲郎『象徴天皇制の起源』

「天皇制民主主義」(Imperial Democracy)という言葉がある。
 それはジョン・ダワーのピュリッツァー賞受賞のベストセラー『敗北を抱きしめて』第四部の中心となっている概念であるが、加藤哲郎「〈天皇制民主主義〉論」(松村高夫・高草木光一編『連続講義 東アジア 日本が問われていること』岩波書店、所収)によると、それにはいくつかの沿革があるという。その記述が簡にして要を得ているので、以下、借用すると、
 ――これはもとはアメリカの歴史学者アンドリュー・ゴードンが大正デモクラシーの時期の日本について提起した概念であった。当時、一方で天皇制、君主主権はそのままにしながら、吉野作造が「民本主義」を唱え、男子普通選挙権の実現、政党内閣等、民主主義化が進展していた。それを応用して、日本の歴史学者中村政則が、戦後日本の民主主義も、天皇制の問題を十分に議論しないまま進めてきた民主化、デモクラタイゼーションだから、これも「天皇制民主主義」だと主張した。そしてこれを広めたのがダワーの前掲書である。それは1945年8月の敗戦後、占領軍と日本の旧支配勢力との間で行われた様々な駆け引き、抱き合い(embracing)の結果としてつくられたのが戦後日本の民主主義であり、「天皇制民主主義」と呼ぶのがふさわしいという考え方である、というのである。
 そして加藤自身も、この言葉を『象徴天皇制の起源――アメリカの心理戦「日本計画」』(平凡社新書、二〇〇五年)という本の中で用いている。それまでの君主主権から国民主権の国家をつくったという意味で、大きな政治体制の変換を遂げた日本の戦後民主主義。しかしその変化は、日本の民衆自身の手で獲得されたものではなく、アメリカの占領軍を中心とした連合国の思惑によって形成された。
 しかも、日本国憲法第一条の象徴天皇制は、一九四二年六月、つまり開戦半年の日本がまだ勝利に酔っている時期に、アメリカのOSS(現在のCIAの前身である戦略情報局)で立てられた「日本計画」――「天皇を平和のシンボルとして利用する」によってすでに計画されていた(驚くべきことに)。ワシントンの米国国立公文書館に眠っていたこの「日本計画」という文書は、加藤が発見して、発表された。その中には、たとえば、「天皇は、西洋における国旗のような名誉あるシンボルであり、政治的・軍事的行動の正当化に利用されうる。天皇シンボルを、軍当局への批判の正当化に用いることは可能だし、和平への復帰の状況を強めることに用いることもできる」という一節がある。

 この「日本計画」の叙述は興味深いが、それは別として、ここでは天皇制民主主義に関するいくつかの興味ある論点を取り上げたい。
 まず加藤は、天皇は日本の象徴というが、いったい何の象徴なのかと問う。

《日本国憲法第一条では、天皇は「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴(the symbol of the State and of the unity of the people)」となっています。実は、これとほとんど同じ文章を、新渡戸稲造が、一九三二年に出版した英語の本『日本――その間題と発展の諸局面』に書いています。「天皇は日本国民の象徴であり、国民統合の象徴である(The Emperor is thus the representative of the nation and the symbol of its unity.)」と(邦訳『新渡戸稲造全集』第一八巻、教文館、一九八五年、一八四頁)。ただし、日本国憲法と新渡戸とでは、一点だけ重要な違いがあります。日本国憲法では「ステイト=国家」の象徴、新渡戸は「ネイション=民族、国民」の象徴と表現しています。
 天皇は「ステイト=国家」の象徴として「国事行為」を行うわけですから、これには危険な面もあります。日本政府の公式見解では、天皇は元首ではありません。だから元首にするために憲法を改正せよという政治家さえいます。しかし、現行憲法の規定は「元首(the head of the State)」に近く、事実多くの外国文献では、天皇は日本の元首として扱われています。新渡戸稲造が言うように「ネイション=国民、民族」の象徴であれば、国内では好意的に受けいれられるでしょう。しかし天皇制を存続させるとしても、「ステイト」の象徴として国事行為を行う天皇は本当に必要なのかと、問い直す意味はあるでしょう。「ネイション」の象徴としての天皇が必要ならば、宗教の教祖のような存在として残す方法も考えられます。天皇家の人々の自由や人権、選挙権・被選挙権も考える必要があります。》

 また、その性格について、次のように言う。
《日本の天皇制が、いわゆる絶対君主制でないことはたしかです。外国の文献では、一般に日本は「立憲君主制(constitutional monarchy)」の国と規定されています。日本の憲法学者の中には、天皇には何の政治的権限もなく、内閣の決定にもとづき国事行為をするいわば人形のような存在だから、イギリス型の立憲君主制とも違う「半君主制」と呼ぶ人もいます。しかし、世襲の一家が、特定の役割をもって国家の最高の地位にいるという意味では、明らかに君主制です。》

 加藤は天皇制を、この国を、地球全体から仕切りをして囲いこんでしまうシステムだと考える。日本の民衆を外から見えにくくする、外国人が入りにくい国にする、それが天皇制ではないか。空間を間仕切りするだけでなく、元号で時間も区切る。その仕切りの中では、第一条の象徴天皇制・国民主権と第九条の戦争放棄がセットになって平和主義を構成し、平和主義と民主主義は一体のものとして理解されている。世界の多くの民主主義国では、民主主義はたたかいとるものと理解されている。自由と民主主義を守るためには戦争も辞さない、というのが国際的な常識である。しかし、日本では、天皇制と国民主権、憲法第九条と自衛隊、日米安保体制が並存しているというように、全体としてわかりにくい民主主義体制を形成している、と加藤は言う。《天皇制は、グローバルな世界と日本の間につくられた間仕切りで、「象徴」はカーテンの役割を果たしています。だから、「ウチ」の論理は「ソト」には通用しません。》

 では、この〈天皇制民主主義〉をつくり出したものは、何だったのか。加藤によれば、それは、――
《第一は、一九四二年のOSS「日本計画」に象徴されるように、アメリカ、ソ連をはじめとする連合国軍の戦略的意図です。日本については、天皇制をなくしてしまうと、その統合力が失われて混乱や暴走が起こるかもしれない。大日本帝国憲法では、憲法改正手続きも天皇が発議することになっているから、天皇に無条件降伏を語らせ、天皇の命令で憲法を改正させたほうがよい。秩序立った占領を行い、戦後の民主化、非軍事化を実行する強力な武器として、天皇制を残すことが決められたわけです。
 第二は、日本の支配層の「国体護持」への執着です。連合国側の意図や戦略に関してまったく情報をとることができないまま、イタリア、ドイツの降伏、ポツダム宣言後も戦争指導部は「国体護持」にこだわり続けました。その結果、本土空襲、沖縄戦、原爆、ソ連参戦を招きました。この「国体護持」への執着も、アメリカは戦略に織込み済みでした。天皇制さえ残せば、連合国側の犠牲を最小限にとどめ、天皇を操って日本人を占領政策に従わせることができると考えていました。だから、皇居の爆撃も注意深く避けました。
 第三は、受動的な国民感情です。戦前の天皇崇拝はもとより、一九四五年から今日に至る天皇制に対する国民の支持です。》

 最後に、加藤は、日本の憲法と民主主義制度を支える、デモクラタイゼーションの主体としての国民の側の問題として、四つの論点を挙げている。
 第一は、広島、長崎で原爆を落とされて敗戦したという被害者意識。《戦争は怖いものだ、飢えるものだ、貧しいものだ。敗者は悲惨だ。だからもう戦争はいやだ。これは、当たり前の意識かもしれません。しかし、そこから出発したことによって、見えなくなっている問題がある。なぜ原爆を落とされたのかと考えれば、降伏決定を先延ばしした戦争指導部の問題のみならず、一五年間の中国大陸への侵略戦争、三六年間にわたる朝鮮植民地化の問題に、必ず突き当たるはずです。しかし、その「加害者」としての側面は、少なくとも一九四五年から六〇年くらいまでの間は、ほとんど顧みられませんでした。日本の平和運動も、広島、長崎の被爆体験から出発する形をとりました。》
 第二に、日本の内部での沖縄の切り捨て。《戦後民主主義は、本来日本の仲間であるはずの人たちを切り捨てて、天皇を「象徴」と信じる者だけでまとまった民主主義という面を、拭うことができません。》
 第三に、一九五五年以降の高度経済成長の過程で、民主主義と一体になった平和を守ろうという意識が、経済成長で豊かになった生活を守ろうという、保守的な大国意識に変わった。経済成長の果実を守るために、他国から干渉されないで、「ウチ」の中だけでみんなで豊かになろうという方向に流れていったという問題。
 最後に、「戦争に反対することの意味」が、日本が戦争に巻き込まれない、天皇制というカーテンで仕切られた国土を守るという意識に限定されてしまった点。他国から見れば奇妙な「一国平和主義」と呼ばれる世界への無関心とアメリカ依存が形成された。

 最後に加藤は言う。
《天皇制があったからこうした国民の側の問題が生じた、とは言いません。しかし、天皇制という仕切りが、日本の民主主義の歪みに重要な役割を果たしたことは否めないでしょう。天皇制が、地球的な規模での民主主義をめざす場合に、桎梏ないし障害になる可能性もあります。いますぐ廃止せよとは言いませんが、いつまでも持ち続ける必要のあるものかどうか、天皇家の人々の人権の問題を含めて、もう一度考える必要があると思います。》

 過程は十分に興味深い叙述だし、その指摘はおおむね妥当だろうが、しかし《天皇制という仕切りが、日本の民主主義の歪みに重要な役割を果たした》という、この結論はどうだろうか。それは逆ではないか。
 たとえば《天皇は、西洋における国旗のような名誉あるシンボル》であるという分析は、象徴(シンボル)という語の意味の日本的特性を見事に言い当てているように思う。まさに天皇・皇室は「錦旗」として日本人に作用している。しかしそれは共同的な心性が作り出したもので、その逆ではない。もし「天皇制民主主義」という、この極めて日本的な型の民主主義にあるものを「歪み」というとすれば――本当にそれは単に「歪み」と言い捨ててしまえるものなのかも未だ分明ではないが――、それは天皇制そのものに帰責されるべきものではなく、天皇制民主主義を支持し受容し、いわば「抱きしめて」いる、あるいはそこから母胎離れしえない、そういう日本ないし日本人の心性的内奥構造にこそその原因があるのではないだろうか。

posted by tabatabunsi at 00:13| Comment(0) | 天皇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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