2015年09月29日

南原繁の天皇観 @「退位」の問題

 丸山眞男の『話文集』のところで、南原繁の天皇退位論が言及されていた。それを直截に表明したのが、「昭和二十一年十二月十六日、第九十一帝国議会貴族院本会議における皇室典範案に関する著者の質問演説」である。これは「退位の問題」と題されて『文化と国家』上(東京大学出版会)に収められた。(『南原繁著作集』第九巻、岩波書店)

 当時、退位論は南原だけの主張ではなかった。しかしこの質問が明治憲法下で「皇室の藩屏」として設けられた貴族院においてなされたものであるところに特別の意味があり、大きな波紋をもたらしたのであった(著作集における佐藤功の解説)。本文を長く引用するのは煩雑なので、それを要領よくまとめた佐藤の解説を援用する。
《一般に当時の天皇退位論は天皇の戦争責任論として主張されることが多かった。そして、これに対して、政府の見解に代表される、退位の必要なしとする主張は、天皇には政治的責任はないこと、天皇に開戦阻止を期待することは事実上不可能なことを強いるものであったこと、あるいは退位は国民の伝統的感情と一致しないことなどを理由とするものであった。
 著者の主張の特色は、これらのことを認めながら、否、それらを認めればこそ、天皇の精神的・道徳的責任が至上のものであることを強調するところにある。すなわち、前に述べたように、天皇は倫理的文化的共同体としての国家におけるその道義的中心たる地位を占めるものでなければならない。天皇がこの道義的中心としての役割を明らかにされることが、敗戦による道義の断絶を埋め、著者のいう新たな「国体」の再生のためにも必要であり、これによりわが天皇制が新たなる生命を獲得することともなるであろう。これが著者の天皇退位論の核心であった。》

 ここで南原の質問の該当箇所を、摘記しておく。

《私はこのことを特に今次の大戦について思わざるを得ないのである。陛下が戦争に対し政治的・法律的の御責任のないことは、現行憲法の解釈からも明白であり、殊に誰よりも最も多く平和に終始せられ、国家の苦悩を御一身に担われ来給うたことは、国民のひとしく知悉するところである。それにもかかわらず、否、それだけに、その御代において、わが国有史以来の大事が惹き起されたことについて、上御宗祖に対し、また下国民に対して、もっとも強く精神的=道徳的責任を感じさせられるのは、陛下であろうと拝察するのである。
 昨年八月十五日「たとい朕の一身はいかにあろうとも……」のお言葉は、いまなおわれわれの耳朶に新たなものがある。まことに陛下の御念願はひとえに国家の大義と国民の幸福にかけられているのであり、そのために御退位はもとより、いつでも御一身を犠牲となし給う御決意と想われる。
 いま国民は挙げて物質的・精神的な悲惨のどん底に彷徨している。なかにも幾百万の戦死者遺家族・戦傷病軍人並びに測り知られぬほどの戦火の罹災者は巷に満ちているのである。かれらは軍閥や時の指導者たちに誤られたとはいえ、いずれも陛下の名を呼び、陛下のために戦い、苦しみ来ったのである。また重臣側近者を初め、その他の指導者らは中央地方を通じて、厳しき法の審きの前に処刑または追放されつつあるのである。そうしたなかにあって人知れず御苦悩と御責任感に堪えさせられ、なおしばらくこの非常転換のときを、国事に当られているのが陛下であると拝察致すのである。
 かかる事情のもとにあって、あたかも何事もなかったかのごとく、なお将来も永久に、国民の伝統的感情がそれを許さぬという理由のもとに、退位の規定を認めないのは、およそ大義名分の何たるかを弁えざると同時に、国民心理の現実に強いて眼を蔽うものといわねばならない。
 別けても道徳的義務と責任を宗とする教育者――国民学校より大学に至るまでわれわれ教育のことに当る者にとっては、これは深刻な問題であり、戦争によって責任感と義務感が薄らぎ、世をこぞって道徳的頽廃の兆ある祖国将来の運命は、ひとえに道義的精神の作興いかんにあると考える。この意味において、祖国再建の精神的礎石は国民の象徴たる天皇の御進退にかけられている、と称しても過言ではないであろう。
 しかるに、国民の伝統的感情に籍口して、国民感情を強制し、万一にも国民の間に怨嗟の声を残すならば、いかにして遂に天皇の大義を明らかにし、国民の道義を振起し得るであろうか。これらの点につき、文教の長たる田中文相の所見を承りたい。》

 この論述の上に、南原は、新・皇室典範において「退位ないし譲位についての規定」を定めることを提案しているのである。

 最後に、南原はこの質問をしめくくって言う。
《いま混乱と変革のただなかに、歴史的転換の大業を見とどけ給うことにより、いつの日にか国民の道義的精神生活の中核として、天皇御躬らの大義を明らかにし給わんことは、心ある国民のひとしくこいねがうところであろう。かくしてこそ、わが国民道義の断ち切られた結合を初めて繋ぎとめ、かつて光栄ありし歴史の破れた空白を充し得て、後世わが国史の上に昭和天皇の御決断を伝え得ると同時に、外世界に対し日本天皇の大義を証示し得る所以となるであろう。》

 以上が丸山眞男のいう南原繁の「大護持の立場」の上での退位論の骨子である。
 ところで、丸山は、この趣旨を南原は「安田講堂で言ったわけ」で、「こんなにでかく新聞に出ました」とも述べていた。これは東大総長としての南原の天長節式典(1946年4月29日)での演述である。(『文化と国家』上に「天長節」の題で収められているもの。末尾に資料として付しておく。)

 しかしその演述には、上の趣旨は今読む限りではあまり明確ではない。かろうじて「今次の大戦について政治上法律上、陛下に何の御責任のないことはかく明白でありましても、それにもかかわらず、その御代においてかかる大事が惹き起され、そして肇国以来の完全な敗北と悲惨な状態に国民が陥ったことについて、御宗祖に対し、また国民に対し、道徳的精神的御責任を最も強く感じさせられるのは陛下であると拝察するのであります」という文言、あるいは「ことにその御挙措御進退が世界環視の間にあり、国民仰視のなかに立ち給うとき」とか、「いずれの日にか、国民の道義的精神生活の中心として、天皇躬らの大義を炳らかにし給わんことを庶幾うがため」とかいう語句をつないで、言外に「退位」を勧めるというその意味を察することができるのみである。
 あるいは、演述の収録の際に文言の修正が加えられたのだろうか。むしろ、そう思うことは、現在時点での浅慮であり、当時の状況下で、こういう発言自体が異例なものとして(不敬な、とは言わないまでも、不遜で穏当を欠く、と思われたのかも知れない)受けとめられ、その退位を勧めるという趣意は明白に了解されていたのかとも思われる。

 総括して言えば、退位論と言っても、むろん、南原は露骨にそれを勧告しているわけではない。あくまで将来、天皇自身の判断としてそれを選ぼうという時に、自由な退位の規定がないことの非を主張しているのである。質問演説に、もし天皇の自由意志によって退位の意志を示された時に「それが実現し得られぬというがごときは、法律制度をもって象徴としての天皇の徳を覆い、ひいて国民道徳に重大な影響を与える」だろうというのはその点を明らかにしているのである。
 ここに、佐藤の解説するように、南原の独自の主張の特色点があった。それは南原の政治哲学から発するところの、《新たな「国体」の再生》のためのものだった。
 そこで次に、南原の「国体」論と主権、天皇の地位についての考えを検討しなければならない。(以下、次項)

********************
(資料)

「天長節」



 世界の諸国において、その元首誕辰の日を国民が特別の意味をこめて慶祝するのは、昔も今も変りないことであります。ことに一系の皇室を上に戴き来った日本が、遠き昔からこの日を聖別し、とくに明治以来国家の大典の一つとして宝寿の無窮を祝ぎ来りましたのは、意味深きことと申さねばなりませぬ。
 しかし、わが国が現代もなお天皇を現人神と思惟し、その御真影を神聖化しますがごときは、一面わが邦が東洋礼節の国として、美しい国民的特性を示すものであると同時に、他面何かそこに「反自然」的「非人問」的なものがなかったでありましょうか。大きな不幸と破綻はそこから生じます。そのあまりに形式的にして、しかもこれを国民一般に強制する結果は、もしその儀礼の一点を欠かんか、その人はしばしば非国民・異端者として烙印せられ、ためにいかに多くの人々がその地位を追われ、国家社会から葬り去られたか知れませぬ。
 この関係から、本年初頭の詔書において、天皇が躬ら現人神たる神格を否定せられましたことは、国民をそうした無用の危険から救い、どれだけ多くの人の汚名が雪がれたかわかりませぬ。それは天皇が「自然」と「人間」との正しき関係を取戻し、国民との結合を同じく人としての相互の信頼と愛敬の関係に置き換えられたものとして、極めて重要な意義をもつものといえるでありましょう。
 最近、天皇が戦災各地を御巡幸、親しく不幸な国民をいたわり給う情景ぐらい感銘深いものはありませぬ。先頃前橋市に行幸せられたときのことであります。私はその直後、現地につきその状況をつぶさに見聞するの機会を得たのであります。県当局は御心を体して果断、街に陛下の御歩行を願ったのでありました。場所は市の中心部、と申してもわずかに残骸を止むる焦土の街。今は御警衛の警官も特に配置してない街の両側を幾重にも立ち並んだ老若男女、あらゆる階層の幾万の市民の粛然たる中に玉歩を進めさせられました。突如その静寂を破って可憐な一小学生の叫んだ「天皇陛下万歳」の声に、にわかに堰を切って落したような歓呼の叫び、感激の嵐。後は辛うじて御通路を開くに過ぎないほどの感激の群衆の波の問を、御帽子を取って会釈を賜いつつ御通行。再び召された御車の窓近く涙にぬれた市民の顔がしばらく御発車をお止め申したということであります。
 誰かこれを宮廷の人心収攬策と称する者がありましょうか。それは人としての天皇が、今やなんらの媒介者ももちいず、直接国民の間に立って、戦の劫火に尊い犠牲を払った人たちに、無限の同情と慰めをもって接し給う光景であります。また到るところ民衆が嵐のような熱狂と感激をもって迎え奉るのは、これまで神秘の帳のうちに包まれていた至尊に対する単なる好奇心からではありませぬ。それは国民としてわれらの陛下に対する至誠の流露であり、別してはこの幾年、国家最大の苦難と運命を人知れず御一身に担い給いつつ歩み来られたことに対する心からの尊敬と愛情の表われにほかなりませぬ。



 実にわが国の歴史始まって以来、今上陛下ほど最も多事多難の時代を通して最も悲壮な運命を担われた天皇は、かつてなかったでありましょう。御即位後間もなく五・一五事件、二・二六事件等幾多の不祥事件を前奏曲として、御統治の最近十数年、日本は或る不可抗的なカに引きずられるもののごとく、満州事変・中日事変、そして遂に世界を敵としての太平洋戦争の舞台へと突入したのでありました。しかも、それがひとりの御人として仁慈柔和に富ませられ、真理と文化を尚び、何よりも平和を愛せられ給う御方、また立憲君主として国民の意志のすべてを容れられこそすれ、およそ独裁と英雄的王者の型にいまさぬ天皇の御治世に、この事の起りましたことは、何としても日本民族の運命的悲劇と申さねばなりませぬ。
 ロさがなき国民の間には、天皇の御英断よくこれを制止し給わなかったことを嘆ずる声がなかったわけではありませぬ。しかし、専横の限りを尽した軍閥とそれに迎合する超国家主義者等の力の前に、側近奉仕者並びに重臣これを阻止し得ず、献替の誠を致すべきはずの歴代内閣はかえって支持参画し、国民の唯一の代表機関たる議会これに附和雷同し、言論機関またこれを謳歌し称揚する中にあってこれを抑止するのは、不可能を要求し奉ると等しいでありましょう。それほど陛下は御幼少より立憲君主としての御教育を受けさせられ、しかく虔やかに行動し来給うたのであります。
 しかも陛下の御心は極めて明白であります。

  西ひがし睦みかはして栄えゆかむ世をこそ祈れ年のはじめに

 これは太平洋戦争開始の前、昭和十五年新年の御製であります。いよいよ大戦勃発の直前、日本が和戦の運命を決すべき重大なる御前会議において、いかにかして戦争の危機を克服し平和を維持されんとして、明治天皇の御製

  よもの海みなはらからと思ふ世になど波風の立ちさはぐらむ

と御詠誦せられたと漏れ承ります。しかるを国家の指導者たちは御心に副い奉らず、国を率いてただ戦争へと突き進んだのでありました。ここに国民の間には逆説的にも立憲政治よりもかえって天皇の「親裁政治」を望んだ者もすくなくはありませぬ。われわれはむしろそうした国民のなかから一人の予言者が出て、真に『国のために石垣を築き、その破壊処に立ってこれを滅亡より救い出す』者のなかったことを深く悲しみとせねばなりませぬ。
 しかも、その陛下に最後の御英断がなかったわけではありませぬ。戦ますます不利にして、国家存亡の最後の関頭に立ち到ったとき、軍部なお本土作戦と一億玉砕を呼号して譲らなかったときに、御身をもって国民を滅亡の淵から救い給うべく、ポツダム宣言の受諾を宜せられたことは、私どもの心腸をえぐったなまなましき事件であります。かの日『たとい朕の一身はいかにあろうとも……』との御言葉ほど私どもの胸を打ったものはありませぬ。当時の内閣諸公は陛下を初めてラジオの前にお立たせ申すことを以て、わずかにそれと解し奉ったかのごとくであります。しかし、陛下の御胸中を去来するものは別にあったことでありましょう。まこと、陛下の御生涯はひとえに国家の安泰と国民の幸福にかけさせられていたのであり、そのために御一身をいつでも犠牲となし給う御願いに満たされていたと拝察するのであります。
 今次の大戦について政治上法律上、陛下に何の御責任のないことはかく明白でありましても、それにもかかわらず、その御代においてかかる大事が惹き起され、そして肇国以来の完全な敗北と悲惨な状態に国民が陥ったことについて、御宗祖に対し、また国民に対し、道徳的精神的御責任を最も強く感じさせられるのは陛下であると拝察するのであります。諸臣臣節を解せず、責任を回避するその中に、陛下がかく感じさせられるのはけだしわが国至高の道徳であり、これによってわが皇室はこれまで国民生活の中心として尊崇せられ来ったのであり、今後祖国再建の精神的礎石は一にそれに懸けられているからであります。そのことを自覚せられ、ひとり御胸に秘められながら、静かに苦悩に耐えさせられて、しばらくこの歴史的転換の混乱の時期を憲法改正へ、能うべくんば平和条約締結へと、御躬らの尊き義務を果されつつあることと拝察し、その御心事にわれら涙なきを得ませぬ。



 まことに降伏後八カ月半、連合軍の指令下とはいえ、いかに多くの変革が今上陛下の時代にいま日本になされつつありますことか。私どもは戦に敗れたことを悲しむよりも、かくて新日本の胎動を瞠目して待つでありましょう。そしてかくのごときは実に陛下本来の御意志であり、また国民年来の要望の実現にほかなりませぬ。すなわち再び戦のことを学ばぬ「平和国家」、人類の間に実現せらるべき高貴な理想を自覚する「文化国家」の創建、大権の蔭にまた国民の自由と権利を蹂躙する余地と危険の見出されぬ「民主国家」、もはや人が人に対する専制と圧迫を知らぬ「自由国家」の建設であります。
 かくのごときは、ただに新しきが故にこれを模倣し摂り入れるというのでなく、ひとえにより善き国家、世界に伍して恥ずるなき完全なものにまでこの国を高めんとの君民一致の悲願の成就にほかなりませぬ。そのために古きものは古きが故に保持するというのでなく、むしろ進んで放棄せんとして、これを御自身の生涯によって事実の上に証明されつつあるのが陛下であると存じます。そこにいささかの不自然さはありませぬ。なぜなればこれまでの憲法において広汎な大権の規定はあっても多くは形式的にとどまり、陛下は完全に民主的に行い来られたからであります。
 やがて新憲法は制定されるでありましょう。それは仮りにも上から与えられたり、他から強制されたものであってはならず、あくまでポツダム宣言の条項に従い、日本国民の自由の意志によって決定せられなければなりませぬ。そして今まで大権として天皇に帰属せられていた多くのものが消し去られても――またそうすることが必要でありますが――日本国家権威の最高の表現、日本国民統合の象徴としての天皇制は永久に維持されるでありましょうし、また維持されなければなりませぬ。これはわが国の永い歴史において民族の結合を根源において支え来ったものであって、君主と人民のおのおのの世代の交替と、君主主権・人民主権の対立とを超えて、君民一体の日本民族共同体そのものの不変の本質であります。外地異種族の離れ去った純粋日本に立ち帰った今、これをしも失うならば日本民族の歴史的個性と精神の独立は消滅するでありましょう。
 そうしてそれは、単に日本の歴史的過去の事実というのみでなく、およそ民主主義の世界観的基礎に対し、新たな理念的意義を供するでありましょう。なぜなれば「個人」とその多数に基礎を置く民主主義が個人の単なる集合でないところの国民的全体の観念をいかにして構成し、国家統一の原理を何に求めるかは、まさに根本の問題であるからであります。デモクラシーは原理的には、そうした全体と個人との問の妥協の政治形態にほかなりませぬ。しかるに、わが国においてこの全体的者の支持点と永遠の統一を有し来ったことを悦びとし、これを固有の理念的基礎として、新しい全体を創り出さなければなりませぬ。
 この新しい全体において、それを構成する各個人はそれぞれ自由独立であり、その相互の間に搾取と隷属があってはならず、この意味において各人に平等が立てられねばなりませぬ。この新しく立てられた平等の上に、おのおのの個性と職分に応じての差別――新しい不平等の生れるのは当然であって、互に信倚し、敬重し、いずれも全体の目的を担うところのそれぞれの異る位置において、各自の義務を遂行することは、民主主義の基本道徳でなければなりませぬ。
 わけても国民統合の象徴である天皇は、現実の政治的国家秩序の最高の位置にあられるばかりでなく、国民的生の共同体の高き秩序の理想の表現でなければなりませぬ。なぜなれば象徴とはつまり時間的有限なものにおいて無時間的無限なものを、あるいは現実との関連において理想を具体化し対象化することの謂でありますから。かような意味において、天皇は御躬ら自由の原理に基づき、率先してあまねく国民の規範たり理想たるべき精神的道徳的の至上の御責任を帯びさせられるでありましょう。ことにその御挙措御進退が世界環視の間にあり、国民仰視のなかに立ち給うときにおいてそうであります。内閣諸公を初め、その要職にある者、よくよくこの道理を舞えて輔弼の任を完うし、より大なる忠誠を尽さんことを切望して已みませぬ。
 現在連合軍の占領下、あまつさえわが国のいまだ一度も嘗めたことのない極度の経済的物質的窮乏と、そしてそれに劣らぬ精神的混乱はますます深く大きくあります。その中に敗戦後最初の天長節を迎え、真理と教育の府たる大学があえてこの日を祝し奉る所以は、この十数年国家の苦悩と運命を御一身に担い来給うた陛下に、学徒としての心からの敬愛と感佩の誠を表わし奉ると同時に、いま激動と混沌のただなかに歴史的転回の大業を基礎づけ給うことにより、いずれの日にか、国民の道義的精神生活の中心として、天皇躬らの大義を炳らかにし給わんことを庶幾うがためにほかなりませぬ。
 願くば、かようにして国民道徳の切断せられた精神的紐帯がつながれ、光栄ある歴史のこの空白が充されますように。さらに陛下の御代が大なる暗黒を通してではありますが、真に「昭和」の黎明の明け離れる時代となりますように。(一九四六年四月二九日)
posted by tabatabunsi at 00:01| Comment(0) | 天皇論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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