2015年11月26日

戦前から戦後にかけて…

 原節子が死んだ。「伝説の女優」と言われた。私たちの世代にとってはともかく圧倒的な大女優だった。ただ、その魅力はというと、曰く言い難いところがある。たとえば外国映画で原節子(1920年生)に匹敵するのはイングリッド・バーグマン(1915年生)だが、バーグマンの場合は『カサブランカ』にせよ『誰が為に鐘は鳴る』にせよ、劇的な演技性が印象されるのに、原節子の場合はあの光輝からすれば地味過ぎるような静謐な場面の記憶しかない。
 朝日新聞・26日夕刊の佐藤忠男のコメント。
《巨匠の作品に出演した女優の中ではトップ中のトップスターだった。戦中は軍国のお姉さんを演じ、戦後は民主主義を教えてくれる教師役も演じた。戦前から戦後にかけて、真面目な日本人の理想として仰ぎ見られる存在であり続けた女優でした。》
 …ふと、昭和天皇を連想する。

 もしこれがナチス・ドイツの場合だったら、戦前の国策映画に出た女優が戦後もそのままトップスターの位置を占めるということはあり得なかっただろう。日本では、昭和天皇も小林秀雄も原節子も、一貫して「仰ぎ見られる存在」であった。このことは、日本における「戦争責任」の実体を表徴している。それは戦勝国によって告発される限りにおいて、また特定の被害者・犠牲者によって追求される限りにおいて仮象的に存在するものであって、その問責の場を離れて普遍的に存在するものではないということである。戦前と戦後との間に、断絶感はないのである。

*(注)原節子は、9月5日、肺炎で死去。葬儀は近親者で営んだ。25日のテレビニュースで報道された。
 朝刊社会面の評伝記事(編集委員・石飛徳樹)によれば、中国侵略が進む1937年には日独合作映画『新しき土地』で旧満州開拓に携わる女性を演じ、太平洋戦争が始まると『ハワイ・マレー沖海戦』(42年)で銃後を守る大和なでしこの役で国策に貢献、戦後は『青い山脈』(49年)で民主主義を説く教員に扮し、新生日本を照らす太陽になった。……
posted by tabatabunsi at 17:07| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
日本では、昭和天皇も小林秀雄も原節子も、一貫して「仰ぎ見られる存在」であった。このことは、日本における「戦争責任」の実体を表徴している。・・・・中略・・・・
戦前と戦後との間に、断絶感はないのである。

指摘されて日本が、いかに特殊な国家かを思わざるを得ない。戦前戦後以外の変化においても、(あの明治維新の革命時でさえ)俯瞰して見る私に断絶感はない。そもそも国史で政権交代が行われた時、それまでの価値観を全て否定し、旧政体の首謀者を国民が厳しく憎んだ例などこの国にあったでしょうか。唐突な直感を口にすれば、それは国民全体が、体制を超越し不変な価値を認める芸術家だからなのではないでしょうか。民主主義など、今までの主義の中ではましな主義であって、ほんとうに理想的なあり様は、優れて賢い王様が絶対的権力で治める国家ではなかろうかと、無意識層が知覚する国民の夢寐に立つ影が天皇であってもおかしくはないと私は思うのです。そういう無意識の延長線上に某教団の最高責任者への絶対視も存在すると考えて自分を納得させています。いつも通りの非論理的文述を許容願います。
Posted by at 2015年11月27日 06:29
この指摘、面白く読みました。論旨もおおむね賛成です。委細面語を期す。
Posted by usui at 2015年11月28日 00:27
Posted by 夢郎 at 2016年02月13日 21:58
原節子とイングリッドバーグマンは、1942年に共に国策映画に出演していた。「ハワイマレー沖海戦」と「カサブランカ」だ。前者はキネマ旬報の第一位となったが、後者のハリウッド映画のようにオシャレではなく、それがアメリカと日本の違いだ。当時の俳優は非国民でない限り、映画会社にいわれればでざるを得ない。その反省として彼女は、戦後民主的な映画や戦争の傷跡の残る小津映画に出演したといえる。彼女はバーグマンのファンであったが、42歳で引退してしまう。それでも、世界一の映画のヒロインとなり、今後の世界に新しいファンを獲得し続けるだろう。個人的には、もっと映画に出てほしかったが、小津と出会うことにより、お互いに世界に残る幾つかの名作をつくったのだから、やはり名女優といえる。
Posted by 夢郎 at 2016年02月13日 22:19
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