2017年05月24日

街道論 D『街道をゆく』の時期区分

『街道をゆく』はもちろん小説そのものではない。最初から明確な主題とか主人公とか時代背景などを定めて書きだしたものでもない。しかし二十五年余に及ぶ長期間のシリーズにおいては、おのずから幾つかの時期区分がなされる。それは主題の変遷、論点の重心移動、基調の変化、著者の心情と立場の変移等にともなって、事後的に(つまり俯瞰的に)分析し得るものである。それを先に述べた『遼』誌掲載の拙論のタイトルを借りて言うと、《「二つの近江」から『北のまほろば』へ》ということになるだろう。

 私は、このシリーズを大きくは次のような三つの時期に区分できると思っている。さらにそれをもう一段細かく見て、全体を七つの時期に分けることも可能であると考える。勿論これは試論に過ぎない。その理由・根拠を今ここで精細に述べるためには、結局はシリーズ全体を通観しての具体的な立証過程を伴わななければならなくなるので、さしあたりはその全体の見通しをレジュメ風に記し、かつ若干の注釈的説明を付しておくにとどめたい(なお、この時期区分は主として国内編について妥当するもので、海外編は必ずしもこの区分規定とは一致していない)。

<時期区分>

*第一期(前期):(1)「湖西のみち」から、(46)『南蛮のみちU』まで――祖型探索の冒険

・歴史紀行と祖形(原型)への分析的解明

◎T期:(1)「湖西のみち」から、(6)『韓のくに紀行』まで

・構想が成熟し固まってゆく過程。朝鮮論が主軸

◎U期:(7)「陸奥のみち」から、(30)「佐渡のみち」まで

・東西南北、畿内と地方、辺境・異境、中・短編が中心

◎V期:(31)『肥前の諸街道』から、(46)『南蛮のみちU』まで

・畿内と地方、力作長編が主体になる

*第二期(後期):(47)「近江散歩」から、(72)『北のまほろば』まで

・山河国土のあるべき原風景(原郷)への美的模索と憧憬

◎W期:(47)「近江散歩」から、(62)「赤坂散歩」まで

・再訪、原郷憧憬と幻滅

◎X期:(63)「大徳寺散歩」から、(68)『本郷界隈』まで

・神聖価値への傾斜、列聖・顕彰意識、この「転換」=「回心」の動機は昭和天皇崩御

◎Y期:(69)『オホーツク街道』から、(72)『北のまほろば』まで――司馬遼太郎の「白鳥の歌」

・完結期、掉尾を飾る傑作群、『オホーツク街道』『台湾紀行』、そして実質的な完結編である『北のまほろば』へ

*第三期(補遺期):補遺としての「記」
(73)『三浦半島記』から、(74)『濃尾参州記』まで

◎Z期:(73)『三浦半島記』から、(74)『濃尾参州記』まで――幻滅の中の死

・補遺(捃拾)期、未完の形態、『関八州記』の可能性
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2017年05月23日

街道論 C『街道をゆく』の論題

 初めにも書いたが、私はこの『街道をゆく』シリーズを最初は文庫判で通読した。その時、ページの余白にかなり詳しい書き込みをした。次の時は単行本を古本で全巻一括購入し、今度はあらかじめ用意した項目群に従ってメモを取りつつ、新たに通読した。当初はこのメモ集を元にしてすぐにでも『街道をゆく』論をまとめたいと考えていたが、なかなか取りつけずに遷延してしまった。その理由はいくつかあるが、一つはあまりに内容が多彩であり、論題が豊かすぎて、焦点を絞り込むのが難しかったということがあった。もう一つは、司馬については詳しく深く読み込んできたと自負していたが、ただ幾つかの疑点というか違和感というか、心の澱みが残っていて、それをどう解釈するかという問題が解決できないでいた。今でも全く心残りなく昇華し得たとは思わないが、まあ何とか公平で余裕のある視点を確立できるようになったという気がする。この点はおいおい論じてゆくこととして、今はまず、私の論題群のカタログを示しておくことにする。

 私のノートには、各編別に次のような項目が立てられている。

・歴史紀行(人間と風土)
・日本(人)論
・祖形(原型)論
・朝鮮論
・天皇論
・宗教・思想論(神道論・仏教論、その他)
・辺境・民族・国家論
・神聖価値論
・現代社会批判
・土地問題
・自伝的言説
・同行者(インフォーマント)

 論題はとにかく豊富である。司馬の絶妙な話術で、街道をゆくに従っての道行式の語りの芸が発揮されている。
《この稿は、咄が飛ぶ。
 本来、私は、
「朽木街道」
 という湖西の古街道にむかって粉雪の舞うなかをすすんでいるはずだが、しかしどうも咄が飛ぶ。つまりそういうことで、飛ぶことにひらきなおって、そういう体の式でゆきたい。
 もっとも、飛んだ風船は追っかけて糸をつかんで、ちゃんと締めくくらねばならないが、そこは街道というもののありがたさで、自然に街道自体が締めくくってくれる。街道はなるほど空間的存在ではあるが、しかしひるがえって考えれば、それは決定的に時間的存在であって、私の乗っている車は、過去というぼう大な時間の世界へ旅立っているのである。》(@28)
 しかし街道を行くのに、そこに一貫した調子がないということはあり得ない。奥州路を辿る『奥の細道』には「咄が飛ぶ」などはあり得ない。どこへ行くにしてもそこには芭蕉の風雅の心が基調にある。また『土佐日記』や『更級日記』は意図した紀行ではなく一貫した主題もないが、紀貫之や菅原孝標女の人生自身がそこに投影されている。それに対して、司馬の『街道をゆく』はもちろんその過程に司馬の人生の変遷が反映しているのは確かだが、それを表現することに目的があるわけではない。司馬の街道紀行は司馬の問題意識を追って辿るものであり、その意味では現代のルポルタージュとは異なるものの、いわゆる普通の紀行文を読むときの芳醇な味覚には乏しいのはやむを得ないが、しかしその問題意識における魅力が連載を支えている基軸なのである。
 では、その問題意識の一貫性とは何か。それは日本(人)論である。
 しかし、「歴史紀行」部分と「祖型探索」部分とは明らかに調子が異なり、主題的な連関性が必ずしも保証されてはいない。話題が「歴史紀行」から「祖形探索」に転換したり、またその逆だったりする時、その接続があまりうまく行かない場合もあり得る。
 実際に、それを(1)「湖西のみち」で検証してみよう。
 これは「楽浪の志賀」「湖西の安曇人」「朽木渓谷」「朽木の興聖寺」という僅か四つの章で構成されている短編だが、前半の二章は「祖型探索」に重点があり、朝鮮渡来人のことが主題になっている。この主題には新味があり、かつ興趣がある。対して後半二章は「歴史紀行」と言える。そこには、織田信長の元亀元年(一五七〇)における「退却」と、無名の足利将軍義晴の流寓のことが語られる。それ自体の話は面白い。だが、私には信長のこのエピソードは既に『国盗り物語』の「退却」の章で読んでいたことであり、それ以上に今、この湖西の道を辿る旅の中で語られる必然的な連関性には欠けているのである(先に引いた文章はまさにこの繫ぎ目の部分に出てくるのだが、それを「自然に街道自体が締めくくってくれる」ということで済ますのには無理がある)。ただその接ぎ目は、前にも引用したが、この朽木渓谷が「若狭湾から京や奈良へゆくための古街道」だったということにあり、そこでかろうじてこの編の前後の関連と融和感が保たれているのである。つまり「祖形探索」という要素こそ、この連載紀行の主題であり眼目であったのである。その主題の強さと深さとが紀行の魅力を確かなものとした。
 繰り返して言うが、この連載の総主題は「日本(人)論」にある。祖形論も天皇論や宗教論もそこに繋がってくる。当然、歴史紀行の部分もそこに組み込まれることになる。それを外した単なる講釈的な歴史談議は最早、いわば二番煎じのものとならざるを得ないのである。
 この問題は、連載を始めてからすぐに司馬の感じるところだっただろう。彼は次第にこの総主題の意識の明確な紀行を中心とするようになる。そしてそれは必然的に中長編化への傾向を強めることになっていき、短編はどちらかというと時々の息継ぎ(あるいは埋め草)的な位置を占めるものになる。
 補足すると、「歴史紀行」部分でも、幕末維新の話は戦国時代の話にくらべてより新鮮味があると言える。それは一つには近代・現代との関連性がより深いからであるが、さらに重要な点は維新から近代初期への物語は司馬の小説展開にとっては現に進行中のものだったからである。『街道をゆく』と併行して書かれた『坂の上の雲』と『翔ぶが如く』はまさに近代初頭の時期の物語(日露戦争と西南戦争という)だった。特に同時併行となった『翔ぶが如く』で追及された「若衆組」の問題などは、その後彼の中心課題となる「統帥権」「魔法の森」への萌芽だったのである(この問題は『街道をゆく』で追及され、後には『この国のかたち』で再説されることになる)。
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2017年05月22日

街道論 B『街道をゆく』の主題

 新しい『街道をゆく』の連載には、前著『歴史を紀行する』の続編としての性格はあり得なかったということを前回の終わりに私は述べた。その論証として、改めてこの畢生のシリーズの最初編である「湖西のみち」の冒頭部(シリーズ全体のプロローグでもある)を引いてみよう。なお、この引用の最後の(@9)は、ワイド版・第一篇(「湖西のみち」)の9ページであることを示している。

《「近江」
 というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。京や大和がモダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをのこしている。
「近江からはじめましょう」
 というと、編集部のH氏は微笑した。お好きなように、という合図らしい。
 はるかな上代、大和盆地に権力が成立したころ、その大和圏の視力は関東の霞ケ浦までは見えなかったのか、東国といえば岐阜県からせいぜい静岡県ぐらいまでの範囲であった。岐阜県は、美濃という。ひろびろとした野が大和からみた印象だったのであろう。》(@9)

 この文章について、言いたいことは幾つかある。
 第一に、既に述べたが、「近江」という国名だけで詩を感ずるという司馬の言霊的資質である。これについては別項目で触れることにする。
 第二に、この出だしは司馬にとっての小説であるということである。すでに司馬にとっては戦国も幕末も、小説の主題としてはすべて書ききっていた。だから司馬は他のジャンルに転換し、挑戦した。しかし司馬はやはりそれを自分にとっての小説として考えていたように見える。逆に言えば、司馬にとっての小説とはいわば何をどう書いてもいい、説話体の物語だった。例えば『関ヶ原』の最初を彼はこう書き出している。
《いま、憶いだしている。
 筆者は少年のころ、近江国のその寺に行った記憶がある。夏のあついころで、きのうのようにおもいだせる。何寺であったかは忘れた。》
 その後、司馬はヘンリー・ミラーの「いま君はなにか思っている。その思いついたところから書きだすとよい」という言葉を引き、「そういうぐあいに、話をすすめよう」と言って、そこから秀吉と石田三成の物語、《関ヶ原という、とほうもない人間喜劇もしくは「悲劇」》を語り出している。これが司馬の説話の方法である。もちろん、その「思いつき」の前に深刻な準備と取材と思索の積み重ねがあるのは言うまでもないが。
 だから、この「湖西のみち」はまた司馬にとって一つの短編小説なのであった。
 第三に、ここには『街道をゆく』の新しい主題が明確に語られている。それはそれまでの「歴史紀行」を中心とする司馬の物語世界では限定されていたために登場することの殆どなかった古代史への関心・言及である。
『街道をゆく』連載予告(『週刊朝日』昭和45年12月25日号)にはこう告げられていた。
《道といっても大幹線には古今、日々文化が往来していて、日々擦れっからしている。その点、枝道には日本のモトのモトのような種子が吹き溜っていて、日本人のなまな体臭を嗅げるかもしれない。
 そういうことで、野であれ里であれ、吹き溜りをさがして、あちこち歩いてみたいとおもう。》
 またこの「湖西のみち」のその後でも、「気分だけはことさらにそのころの大和人の距離感覚を心象のなかに押しこんで、湖西の道を歩いてみたい」(@10)とか、「この連載は、道を歩きながらひょっとして日本人の祖形のようなものが嗅げるならばというかぼそい期待をもちながらあるいている」(@23)とも書いている。この「祖形(原型)探索」がこのシリーズの眼目となる新機軸・新主題だった。
 もっともこの古代史への関心は、実は急に現れてきたといったものではない。司馬の日本史研究の中でそれは深い関心事だったに違いないのだが、小説主題として現われるのは限定的だった。初期の短編には「八咫烏」(神話時代)「朱盗」(奈良時代)「外法仏」「牛黄加持」(平安時代)という異色の短編佳作があり、長編では『項羽と劉邦』(中国・秦漢時代)『空海の風景』『義経』(平安時代)等もあるが、司馬の歴史世界の中心は圧倒的に戦国・幕末維新であった。
 この「祖形探索」は当然、「日本民族はどこからきたのであろう」という想像を呼び起こす。遥かな原始時代はともかくとして、「可視的な過去」を「遺跡」によって探れば「日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきたことはまぎれもないことである」と司馬は言う(@20)。この新しい要素を取り入れることによって、このシリーズは、それまでの「歴史紀行」とは異なった新生面を啓くことになったのである。それが「原始・古代」への時間的遡及と「異域・辺境」への空間的拡大とを伴うものだったのは必然的である。
 前著の『歴史を紀行する』ではその歴史時代への視野は、ほとんど戦国期以降に限られていたために、この朝鮮渡来人への関心は、僅かに「近江商人を創った血の秘密〔滋賀〕」と「好いても惚れぬ″権力の貸座敷〔京都〕」の二編で扱われているのみである。いずれも畿内に属する地域である。
 第四に、ここには「原郷憧憬」ともいうべき司馬の内心の声が吐露されているということである。ある意味では、このことがこの長大なシリーズの持続の根本動機となった要素でもあっただろう。その「ふるさと」を願求する心情は同時に「モダン墓地」状態に荒廃した現代社会への辛辣で深刻な批判として鬱積し爆発してこざるを得ないものだった。
 要するに、『街道をゆく』を支える主題は従来の「歴史紀行」に加えて「祖型探索」「原郷憧憬」という動機から発していた。しかも、各編の内容を判断吟味する時に忘れてはならないのは、この「歴史紀行」部分は安定した土台部分を形成していることは間違いないのだが、それは司馬にとってはすべて殆ど既知事項であり、また司馬作品を読み込んできた読者としてもあまり新味はないということが多いのである。このシリーズの眼目があとの二つの動機、「祖型探索」「原郷憧憬」にあることは繰り返し強調しておく必要があろう。
posted by tabatabunsi at 19:48| Comment(0) | 『街道をゆく』断章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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